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ワタクシ流☆絵解き館その53 青木繁「大穴牟知命(おおあなむちのみこと)」②その絵は愛を描こうとした

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   青木繁「大穴牟知命」1905年 アーティゾン美術館蔵

青木繁がさかんに西洋の絵画図版を、図書館や書店、古書店で貪り見ていたのは、友人仲間の証言により知られている。そこから得た学識の何が、この絵の人目をひく強い場面に、ヒントを与えることになったのか探ってみたい。

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乳房を露にして跪く女(この絵の舞台である「古事記」の記述ではウムギヒメ)を造形するのに、さまざまな画家が描いたマグダラのマリアの絵が念頭にあったというのは、ひとつの可能性としてあるだろう。
しかし、ウムギヒメの行為によって、男の運命が変わるという顛末に、青木は惹かれたと考える。その視点で見つめ直すと、マグダラのマリアは慈しみの表象であり、運命をその手に握っている存在とは言えない。青木が当時傾倒していたギリシャ神話、それを題材にした西洋絵画の中に、女と男の運命の交錯する瞬間を描いた構図がある。

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上の図に示したように、蘇生させたのと、永い眠りに就かせたのでは、まったく逆の行為である。しかし女の行為に、男の運命が委ねられている場面と考えれば、両者は同じテーマを下に敷いている言うこともできるだろう。
ギリシャ神話は、男女の神々が、恋の衝動によって変身しさせられ、また身を焼き、深く沈み、高く飛翔するといった話が次々に出て来る。青木繁がギリシャ神話に影響を受けたのは、まさにそのような劇的な瞬間を描こうと志向していたからだろう。
「古事記」では、このウムギヒメは、大穴牟知命の蘇生のために遣わされて来たにすぎない。しかし青木は、エンデュミオンに恋したセレーネのような思いを、大穴牟知命に対して抱いている女として、ウムギヒメを描いたように見える。そう見なければ、この絵は鮮烈さが立ち上がって来ない。
ウムギヒメの顔は、内縁の妻福田たねをモデルにしたと言われる。妻をモデルにすること自体は、珍しいことではない。しかし私生活で恋人への思いを表現したと見るのは狭い見方だ。青木繁は、ウムギヒメの行為に「古事記」の記述を超えて、愛の力を見ようとしたのだ。こちらを凝視する視線は、その情熱を語っている。

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