ワタクシ流☆絵解き館その135 青木繁「わだつみのいろこの宮」の構図を導いた静かな歴史画。
今回は、青木絵画の絵解き「ワタクシ流☆絵解き館その115 青木繁が感化された、巨匠シャヴァンヌの芸術的息遣い」の続編。
その記事の中でこう述べた。
「論じられることの多い知見であるが、フランスの画家ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ(1824年 - 1898年)は、早くから日本に紹介されていて、青木繁は、その作品画像(画集など)からさまざまなインスピレーションを得ていると推察できる」
さらに言えば、シャヴァンヌへの関心は、ひとり青木だけのものでなく、師である黒田清輝由来で白馬会の画家たちに広がったもので、黒田は滞欧中、師コランの紹介状を持ってシャヴァンヌを訪問しているほどだ。
前記の記事の中で例に挙げた「わだつみのいろこの宮」とシャヴァンヌの「歴史」の類似点について、改めて比較してみる。
山幸彦のいる環境設定 石造物+幹+広がる枝
山幸彦が先ず初めにたどり着いた場所を、宮城の石造の門柱としたのは、青木の独創であろうと思うが、そのイメージにヒントを与えたのが、シャヴァンヌの絵の、碑銘の刻まれた墓石(?)ではないか。
石造物と、太い幹、繁茂する枝葉に囲まれるようにして、やや首を傾けた姿を見せている構図は両者相似と言っていいだろう。
持ち物を掲げて差し示す様子
横顔のアングル 鼻筋のラインの強調
頭髪のスタイルと裸体 感情が露わでない顔 広げた腕
描かれた人物が皆口を閉じ、「歴史」では廃墟を吹く風の音、「わだつみのいろこの宮」では、海底の潮音だけが聞こえている雰囲気の設定により、絵の作り出す空気感からは、姉妹のような絵と感じられる。
また「歴史」は、「わだつみのいろこの宮」制作の2年前、1905年の「大穴牟知命」の絵においても、下の挿図ABCで示したように、部分的にインスピレーションを与えたのではないかと推測できるものがある。
いずれにしても、一枚の絵のみをもって、「わだつみのいろこの宮」に決定的で強固な影響を与えている、と言い切れるような単純なものではない。「わだつみのいろこの宮」を見れば見るほど、そして青木の教養を探れば探るほど、この作品を生んだ母胎は、青木自身の読書による修養と、周囲の画家、詩人、作家たちが生み出す絵や論や文芸作品からの影響によって培われているのがわかる。アートであろうと文学であろうと、創造者には、胸中に棲みついて離れない先達の存在があるものだと筆者は思う。普通、その影響から脱したいと渇望するのが芸術家の苦しみと理解されるが、自分の作品が、心の師と認める存在の全き影響のもとに生まれているのを自覚することは、一面で密かな歓喜ではないだろうか。青木はそれを感じていたからこそ、周囲の者に、西洋の画家たちの影響を揶揄されても、後世の評価を仰ぐのみ、といった旨の言葉を述べたのだろう。
令和4年5年 瀬戸風 凪
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