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拠点「post」をつくりました

活動を停止したアートプロジェクト「北本ビタミン」についてのドキュメンタリー映画を制作しています。論文執筆から映画制作へおおきく進路変更して約1年。北本に小さな拠点 post を作りました。postという言葉には「投稿する」「郵便」「~以降」など様々な意味が含まれます。
これまでの約1年半、「北本ビタミン」に関わった人々にインタビューしてきました。北本に住み続ける人、北本を離れた人、北本に通い続ける人など様々です。話してくださる当時の思い出、抱えていた感情、今だから言えること… それらの言葉は宛先をなくした手紙のようでした。

10年前はすごく近くにいたのに、今は遠く離れてしまった人同士が、私に託す言葉たち。

postはそうした「手紙」が集まる場所になればいいなと思っています。
収集途中ですが、私の手元に集まった当時の資料も公開しています。
もし「北本ビタミン」について話したいことがあれば、お気軽にお越しください。「北本ビタミン」について知りたい、という方もご遠慮なく。

post
住所:北本市栄1-25-101、北本団地商店街内、まちの工作室てと 2階
オープン:週1日、金曜日に開けようと思っています。お越しになる際は事前にご連絡ください。
連絡先:post.kitamoto[at]gmail.com *[at]を@に置き換えてご送信ください


「北本ビタミン」について

「北本ビタミン」とは、2008年から2012年まで埼玉県北本市にて展開されていたアートプロジェクトです。簡単に時系列順に説明します。

黎明期(2008年~2009年あたり)

当時盛り上がりをみせていた「越後妻有アートプロジェクト」を視察した元北本市長石津氏が「越後妻有のようなものを北本でも」と、関係者に声をかけたのがプロジェクトの立ち上がりです。2009年にはアートプロジェクトの運営を担うキタミン・ラボ舎が発足し、wah documentによる《wah office》や北澤潤《リビングルーム》、西尾美也《人間の家》などアーティストによる様々なプロジェクトが推し進められました。

最盛期(2010年前後)

黎明期から参加していたアーティストたちが他のアーティストや地域の人を巻き込み、活発に活動を展開していた時期です。運営には地域の若者が多く携わり、《wah office》が位置したマエヨシビル(通称:タワー)では夜な夜なアート談義や「おもしろいこと」を仕掛けるための作戦会議が繰り広げられたそうです。
国内外のアートニュースを発信するwabマガジン「アートスケープ」には、ビタミン・ラボ舎で学生スタッフとして運営に携わっていた高橋さんによる紹介文が掲載されています。

2008年〜2012年まで埼玉県北本市で行なわれていたアート・プロジェクト。「ビタミン」という名称は、アートと地域をつなぎ、新たな創造の場を与えることで、まちの「ビタミン」となる独自の文化を生み出し、根付かせていくことを目指して付けられた。北本市では、08年にアーティストの日比野克彦の「明後日朝顔プロジェクト」に参加したことを契機に、アートによるまちづくりへの取り組みが始まる。東京藝術大学教授の熊倉純子と、当時、水戸芸術館主任学芸員であった森司がプロジェクトのアドバイザーを務め、同年8月に美術家の藤浩志がホストとなり、北本でどのようなアート・プロジェクトを行なうべきか、関わる人々とともに考えることを目的とし、「北本アーツキャンプ」を開催。このキャンプによって、運営組織である任意団体、「キタミン・ラボ舎」が立ち上がり、参加アーティストであった、KOSUGE1-16、西尾美也、北澤潤、wah documentらが北本で長期的にプロジェクトを展開していくきっかけとなった。また、09年以降、3年間にわたって、日本文化デザイン会議も開催していた。10年からは廃屋や空き店舗、空き地や雑木林や駅などをアートの視点から新たな地域資源として発信する、「おもしろ不動産」プロジェクトをスタート。西尾美也による雑木林でのインスタレーションや、wah documentと京都造形大学に在学する有志のチームによる空き家改装プロジェクトをはじめとして、さまざまな活動を展開してきた。
著者:高橋麻衣(引用元:アートスケープ

このような美術界で発信力があるwebマガジンに掲載されるなど、日本のアートプロジェクト界隈では「北本ビタミン」認知度が高まりつつありました。2010年に行われた空き物件を持ち上げるプロジェクト《筋トレハウジング》の様子も、アートスケープにレポート記事が掲載されています。
ORERAとWah documentの「筋トレハウジング」in「おもしろ不動産」(北本ビタミンプロジェクト)

運営を担ったNPO法人キタミン・ラボ舎のホームページには、かろうじてブログのみが残っています。たくさんの写真とともに、当時の空気感を伝えています。

その他にも美術家 藤浩志さんのブログや、北澤潤さん《リビングルーム》のブログも残っていますので、興味のある方は覗いてみてください。2010年初頭の、アートプロジェクトがもっていた熱量を感じることができると思います。

縮小期 (2011年~2012年ごろ)
しかしトップダウン型の石津市長の政治手法に反対派の議員/市民は少くありませんでした。その反対を示す政争の場として、「北本ビタミン」や、駅前広場の改修工事「北本らしい“顔”の駅前つくりプロジェクト(通称:顔プロ)」(註1)が利用されることもしばしばあったそうです。具体的には巨額な予算を要する「顔プロ」反対のビラ蒔きや、「北本ビタミン」への住民監査請求などが行われました。
こうした状況のなか、2012年度いっぱいで「北本ビタミン」の予算がなくなること、事業継続への同意が市議会では得られないことを理由に、2013年3月をもって市の事業としての北本ビタミンは幕を閉じます。
その後も2011年に北本市内にオープンした活動拠点「アトリエハウス」は会員制で継続、北澤潤《リビングルーム》も予算を含めた運営を北澤潤八雲事務所が担う形で活動が継続しましたが、「アトリエハウス」は2019年、《リビングルーム》は2015年にそれぞれ活動を停止しています。

註1
「北本らしい“顔”の駅前つくりプロジェクト(通称:顔プロ)」とは「北本ビタミン」と同時並行で進行していた北本駅西口前広場の改修工事プロジェクトです。建築家ユニット アトリエワンを招聘し、行政と市民、大学が共働しながら定期的にワークショップを開催し、『つくる』だけでなく『つかう』ことまで視野に入れた公共工事に取り組みました。

note で綴ること

ものすごいエネルギーをもっていたにもかかわらず、活動の停止へと追い込まれていった「北本ビタミン」。私は現在、「北本ビタミン」のドキュメンタリー映画制作に取り組んでいます。
活動を停止したプロジェクトに目を向けるのは、私自身学部生の頃に一つのプロジェクトのクローズに立ち会ったことと、その経験から学んだ記録が残らないことで出来事そのものがなかったことになってしまう危機感からです。
この note では、映画制作や post で過ごすなかで遭遇する様々な出来事や考えたことを記録していきます。もし今取り組んでいる映画制作が志半ばで途絶えたとしても、なかったことにしないように。

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