見出し画像

2023/7/24 試写会

17:00 post 着

19時からの試写会に向けてデータの確認など。時間が余ったので少し昼寝。

18:00 試写会準備

会場として借りたジャズ喫茶中庭へ。オーナーに声をかけ、上映の準備をする。中庭で上映会をするのは4回目(私のドキュメンタリーが2回、その他の映画が2回)。機材のセッティングも1人でパッとできるようになった。
出張に行っていた方々からのお土産のお菓子をもらう。オーナーからはレモンスカッシュの差し入れ。甘さが脳に沁みる。
今日の試写会は、9月の上映会に協力してくださっている北本市役所のシティープロモーション課の方々に向けたものだ。それに加えて、インタビュー協力してくださったAさん、Dさん、そして中庭の常連Hさんファミリーに声をかけた。Aさん以外は今回が初めての鑑賞になる。どんな反応が返ってくるのか…。

19:10 試写

Aさんと、市役所からOさんが参加(他の職員の方々は予定が合わなかったそうだ)。Dさんは中庭の軒先でオンライン打ち合わせ。Hさんファミリーから30分ほど遅れるとの連絡が入る。人は少ないが、とりあえず上映を始めることにした。
上映開始から30分を過ぎたあたりでHさんファミリーとDさんが合流する。Dさんが会場に入ったタイミングで、ちょうど北本を離れて10年近くたつ「キタミン・ラボ舎」の方のインタビュー音源がながれており、それを聞くや否や「え!これあの人の声?すげー懐かしい」とDさんが言う。その後も映画内で流れる「北本ビタミン」当時の映像をみて「懐かしいなー」と笑みをこぼしていた。
映画内後半では現在の北本の様子の映像も入っており、そこにはHさんファミリーが時々映っている。映画の中に自分たちの姿を見つけたHさんファミリーの子供たちが笑う。昨年撮影したお花見会の映像が映る。Hさんの娘ちゃんは映っているのに、息子くんはなぜか脱いだ靴しかない。なんでだろう、と尋ねられた息子くんは「この時俺トイレ行ってたんだよなー」と答える。それを聞いてみんな笑う。
民族誌映画の始祖、ひいてはドキュメンタリー映画の父と呼ばれる映画作家ロバート・フラハティ(註1)も、こんな光景をみて愛おしい気持ちになっていたのだろうか。

20:30 試写後

映画が終わり、みんなで感想などを話す。子供たちは外の広場で鬼ごっこを始めた。
市役所職員のOさんは、「面白かった。もっと「いい話」にしてるのかと思ってたけど、市議会議事録の抜粋とかもはいってて、単純な話になってないのが良かった」と言ってくださる。映像内のインタビューでは、当時の市長に対する批判的な意見もちょこちょこ入っているのだが、そうした当時の市政への批判を市役所前で流すことについて、役所内外からクレームが入る可能性があること、最悪の場合市役所前広場での野外上映は難しいかも、とも伝えられる。
私自身はこの映画に対して反対意見が来ることなんて織り込み済みだし、どんな反応であれ反応が来ること自体嬉しいのであまり気にしていなかったのだが、上映会場まで介入される可能性があるとは…。Oさんは9月の上映会に向けて、役所内でいろいろ動いてくださっているのだが、10年前を経験している先輩職員(他部署)から「それ、扱って大丈夫?」と言われることがあるらしい。「北本ビタミン」はいまだに深い傷跡として残っていることを再認識。
その後、市役所という組織とアートを扱う事業の折り合いの悪さ、それ進めてく難しさについて各々考えたことを話し合う。北本市は市の魅力の一つとして雑木林や自然観察公園など緑豊かな環境を推しており、市内には「雑木林の会」というNPO法人をはじめ、人の手を入れ続け雑木林を育てていく取り組みがある。そうした手を入れ続ける、耕し続けることを市としてコンセプトとして掲げれば、行政で取り組む事業ももっと継続性があるのに、といった話が挙がる。
その他にも「タワー行くのは面白かったけど、今振り返ってみてもあれがアートなのかわからんね(笑)」、「ヘルメット100個集めただけでも市役所はよくやったよ」といった、「北本ビタミン」当時の話で盛り上がった。

前回の試写会にも参加してくださったAさんに、前回と比べてどう思ったかを聞いてみる。「若いなーって感じ」と返ってくる。今回の映像では、私が調査を経て考えたことを白文字のテロップとして追加し、その言葉が物語を進めていくような構成に作り替えたのだが、その言葉のチョイスや導き出した結論のようなものに若さ(青臭さ?)を感じたようだ。「でもその若さはやぎちゃんがこの映画をつくる意味だよね」と付け足してくれた。そうなのかもしれない。私も10年後にこの映画をみたとき「若いな~!」って思うんだろうか。

ここ半年間、北本や大学の授業内、映像制作を手伝ってくれている人向けに試写会を繰り返してきた。どこで試写会をしても、映画をみた後にこういう「北本ビタミン」について各々が語る時間が生まれる。その時間は映画から触発されて生まれた言葉で満たされていて、だから映画よりも内容が広いし、濃い。

註1
アメリカの記録映画作家。「極北のナヌーク」(1922年)、「アラン」(1934年)、「ルイジアナ物語」(1948)などの作品がある。
「極北のナヌーク」でフラハティは15か月間イヌイットとともに暮らし、彼らの生活の様子を記録した。フィールドに撮影機材だけでなく現像・上映機材も持ち込み、定期的に撮影した映像を住民たちに向けて上映したそうだ。はじめ映像という文明を知らなかったイヌイットたちは、映像内に同じ人間がいることに驚き、アザラシ狩りが写る場面になると「そのアザラシを捕まえろ!」と声を上げ、狩りを手伝うためにみんなでスクリーンへ突進していったといったという。上映を繰り返すうちにイヌイットたちも映像制作に協力するようになり、撮影のためにイグルー(彼らの住居)のセットをつくるなど、フラハティと協働関係を結んだ。
参考:wikipedia、佐藤真『ドキュメンタリー映画の地平』凱風社(2009)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?