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【トークイベント】韓ドラに不時着しちゃいました…(7月11日)

ポスト研究会第9弾は、俳優の銀粉蝶さん、朝鮮半島および東アジアの研究者である梁・永山聡子さん、国立映画アーカイブ特定研究員の吉田夏生さんをお迎えして、コロナ禍の自粛生活中に『愛の不時着』ほか韓国ドラマを見て沼落ちしてしまった人たちに向けて、『愛の不時着』のどこが面白かったのか、リジョンヒョク中隊長のありえないイケメンぶり、(ポスト)フェミニズム的視点から考えるヒロイン像、韓国ドラマの魅力と俳優たちの演技について、2000年代洋ドラマとの比較、ポピュラー文化を消費することの功罪など、硬軟とりまぜた様々な角度から討議しました。

ぽすけん企画 第9弾トークイベント
韓ドラに不時着しちゃいました…

出演者:銀粉蝶×永山聡子×吉田夏生×田中東子(MC)
日時:2020年7月11日(土) 19:00〜21:00
場所::zoom(参加費500円)


【出演者プロフィール】

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銀粉蝶(ぎんぷんちょう)
1980年代初頭、劇作家・演出家の⽣⽥萬と共に劇団『ブリキの⾃発団』を創⽴。その後、数多くの舞台・TV ドラマ・映画に出演。2010 年、二兎社公演『かたりの椅⼦』(作・演出:永井愛)、『ガラスの葉』(演出:白井晃)で、第18 回読売演劇⼤賞 優秀⼥優賞を受賞。近年の主な出演作に、【映画】『ねことじいちゃん』(19)、『ぼくのおじさん』(16)、【ドラマ】NHK連続テレビ小説『わろてんか』(18)、NTV『奥様は、取り扱い注意』(17)、【舞台】『ねじまき鳥クロニクル』(20)、『忘れてもらえないの歌』(19)、『美しく青く』(19)、『うまれてないからまだしねない』(19)、『贋作 桜の森の満開の下』(18)、『吸血姫』(18)、『羅⽣⾨』(17)など多数。

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梁・永山聡子(やん・ながやま・さとこ・ちょんじゃ)
非常勤講師、アジア女性資料センター理事、一般社団法人希望のたね基金(キボタネ)運営委員、在日本朝鮮人人権協会性差別撤廃部会委員、東京生まれの在日朝鮮人3世。専門は社会学。植民地支配・被支配経験のフェミニズム、グローバルフェミニズムと社会運動に関心がある。共著に『社会学理論のプラクティス』くんぷる(2017)、『私たちの「戦う姫、働く少女」』(共著、堀之内出版、2019年)などがある。現代思想2020年3月臨時増刊号 総特集=フェミニズムの現在での鼎談が掲載されている。
ふぇみ・ゼミ http://femizemi.blogspot.com/
Researchmap https://researchmap.jp/HSRN

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吉田夏生(よしだ・なつみ)
アメリカ映画を愛する東京産ミーハー。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了後、映画配給会社勤務等を経て、2018年より国立映画アーカイブ特定研究員として広報を担当。大衆文化におけるジェンダー表象に関心が強く、修士論文のテーマは、明治期から第二次大戦直後の日本の少女雑誌を研究対象とした「写真小説の文化史 少女マンガの考古学」。最近では、「USムービー・ホットサンド ──2010年代アメリカ映画ガイド」(グッチーズ・フリースクール編、フィルムアート社、2020年)の座談会「キャメロンの引退、アダムの登場─2010年代アメリカ映画俳優を語ろう」に参加した。

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田中東子(たなか・とうこ)
2.5次元舞台と2次元のイケメンをこよなく愛するオタク。愛猫家。大妻女子大学文学部教授。専門分野はメディア文化論、ジェンダー研究、カルチュラル・スタディーズ。第三波フェミニズムやポピュラー・フェミニズムの観点から、メディア文化における女性たちの実践について調査と研究を進めている。著書に『メディア文化とジェンダーの政治学-第三波フェミニズムの視点から』(世界思想社、2012年)、『出来事から学ぶカルチュラル・スタディーズ』(共編著、ナカニシヤ出版、2017年)『私たちの「戦う姫、働く少女」』(共著、堀之内出版、2019年)、その他『現代思想』や『早稲田文学』などに第三波フェミニズムやポピュラー・フェミニズムに関する論稿を掲載している。


【トークテーマ】
コロナ禍と呼ばれ「自粛」生活が続くなか、みなさんはどのようにお過ごしだったでしょうか? 日本社会の行く末を案じたり、マスク作りにはまってみたり、政治的な問題に関心をもって国会中継を見るようになったり、感染症の歴史について勉強したり、ZOOM飲み会で吐くほど飲んでみたり、、、

なかには、部屋にこもってNetflixに勧められるがまま『愛の不時着』(もしくは『梨泰院クラス』)を視聴し、そのままずるずると韓国ドラマの魅力にはまっていってしまった方もいらっしゃることでしょう。今回のトークでは、『冬のソナタ』もK-POPブームもスルーしてきたのに、『愛の不時着』を観てついに韓国ドラマに落ちてしまったという初心者から、「韓国ドラマは結構観てるよ~」という方々まで満遍なく楽しめるよう、演技論、映像論、物語論、オリエンタリズムとフェミニズムの交錯、ロマンスとリアリズムの葛藤、資本主義とその外部など、さまざまな角度から『愛の不時着』と韓国ドラマの魅力について語りつくしたいと思います。

出演するのは、テレビドラマや舞台で活躍している俳優であり最近韓国ドラマにの面白さに目覚めたという銀粉蝶さん、朝鮮半島および東アジアのフェミニズムと社会運動を研究し歴戦の韓国ドラママニアの梁・永山聡子さん、国立映画アーカイブ特定研究員であり「ボーダー」を越える物語が大好物な吉田夏生さんの3名。司会は、90年代にソテジワアイドゥルにハマっていた経験から韓国POPカルチャーにはうかつに接近しないよう気を付けて生きてきたのに『愛の不時着』を観て一瞬で沼に落ちてしまったポピュラー文化研究者の田中東子が担当いたします。

以下、トークイベントの内容

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田中:それでは、ポスト研究会第9弾「韓ドラに不時着しちゃいました…」を始めます。このトークイベントを主催している「ポスト研究会」ですが、こちらはカルチュラル・スタディーズの研究者を中心に、ポスト・コロナ時代の批評と実践の可能性を模索するという目標をかかげ、毎週土曜に2時間程度、zoom配信のトークイベントを開催しているグループです。

 本日は、今話題となっているNetflix配信の『愛の不時着』というドラマについてお話します。今日のゲストは、『愛の不時着』を観て最近では韓国ドラマの魅力にどっぷり浸かってらっしゃる俳優の銀粉蝶さん、朝鮮半島と東アジアの研究者である梁・永山聡子さん。聡子さんは第4弾「オンライン・フェミニズムの限界と可能性」にも登壇していただいて、これで2回目ですね。
 それから国立映画アーカイブ特定研究員の吉田夏生さんをお迎えしまして、コロナ禍の自粛生活で韓国ドラマに沼落ちしてしまった人にむけて、どこが面白かったのか―—硬い話題、柔らかな話題とりまぜながら楽しくお話していきたいとおもいます。前半はロマンスコメディの面白さについて登壇者3人と語り合い、中盤では「教えて聡子先生」という感じの、韓ドラ視聴歴20数年の聡子さんに韓国ドラマの基礎について教えてもらうコーナーを作ります。後半は日本ではややもすると海外のポピュラーカルチャーの政治性が抜け落ちて受容されることもあるので、ややポリティカルな面も含めて議論していきたいです。

 観ていない方もいらっしゃると思うので、そういう方がこのイベントのあとに『不時着』観てみようと感じたら勝ちだな、と(笑)。先にお聞きしたいのですが、『愛の不時着』観たよ~という人は、「いいね」マークをだしていただけますか? お、結構見てますね! 10人くらいの方が、まだ観てらっしゃらないのかな。では、最終的なネタバレはなしで進めていきますね。 

 『愛の不時着』を全く見てない人に向けて『韓国TVドラマガイド』さんからお借りしたキャラクター表を準備しましたので、作品を見ていない方はこのキャラクター表を見ながらお話を聞いていただけるとイメージがつかめて楽しいかな。

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 それから『愛の不時着』の人気がいま、どんな状況かということですが、Netflixでずーっと1位なんですね。日本国内での―—これ今日のNetflixの画面をスクショしたものですが、今日の総合TOP10で1位。2位は『ジョーカー』ですが、ここしばらくは、3位にいる『梨泰院クラス』、これも2020年の冬にかけて放映されていたドラマで、こちらと一緒に1位2位を独占していたので、いかに人気がすごいか伺えると思います。ある事故をきっかけに北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に不時着してしまった財閥令嬢のユンセリと、彼女を見つけてしまったことから自宅にかくまい、韓国に戻すために奮闘することになった人民軍エリート将校リ・ジョンヒョクのロマンスコメディです。全16話で前半が北朝鮮を舞台、後編が韓国編ということで、主要メンバーが38度線を越えて韓国に来て、そこで物語が展開されていくという物語になっています。

 ではここで、登壇者ひとりずつ自己紹介をお願いします。自己紹介とともに、なぜ『愛の不時着』を観たのか、なぜクリックしてしまったのかお話しください。それから「私これにハマっちゃったかも…」と思った瞬間がいつだったのか、そのシーンとか瞬間についてお話いただければと思います。まず銀さんからお願いします。

銀:こんにちは。銀粉蝶と申します。俳優です。今年の2月末に公演中の舞台が中止になりました。突然中止になったので、ただただ茫然としていたら、3月、4月と仕事がどんどん消えてしまいました。今振り返ると3月中の記憶がほとんどないくらいボーッとびっくりしたまま過ごしていましたね。そんな中で何をしていたかというと、とりあえず映画を観ようとか、本を読もうとか、普段の生活とあまり変わらないことをしていたのですが、ある時、『愛の不時着』というタイトルが目に留まりました。変なタイトルだと思いません? それまで韓国ドラマは観たことがなかったのですが、なんとなく観始めました。第1話の後半に、ユン・セリが北朝鮮の村に辿り着くシーンがあるのですが、それが何とも不思議でした。箱庭みたいな、作り物めいたザ・セットという感じで私にはとても面白かったんです。で、続けて第2話も観ているうちにヒョンビンの魅力に気づいてしまいました。あとは一気に、という。主にヒョンビンパワーですね。

田中:銀さん―—今日は銀さんと呼ばせていただきます。3月に舞台『ねじまき鳥クロニクル』にご出演されていて、私も見に行く予定でしたので、その時にぜひお会いしましょうと約束していたのですが、今日は画面越しにということでよろしくお願いします。では、続いて聡子さん。

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聡子:こんにちは、私は在日朝鮮人3世です。第四回ポストフェミニズムで話したので詳しくは観てください。私はさきほど東子さんから紹介いただいたように、あまり言ってなかったのですが、家にいる時間はほぼずーっと韓ドラが流れています。もちろん研究している時には観てないですよ!

銀:えー!

聡子:それ、結構在日あるあるですよ。

銀:そうなんですか。

聡子:韓国のニュースもみているのですが、いまは、ネットでニュース配信されていて、観られるので、テレビは韓国ドラマが主です。Netlixは加入していなかったのですが、見る機会を得てからチョコチョコみてました。でも家のHDDに溜まっているものも多くて24時間では見切れないのが現状です。今回、在日朝鮮人の友人・先輩たちから「愛の不時着いいよ」「みたら感想教えて欲しい」と話題になり、「これはみないとだめかな」と思って、手を出してしまいました。私自身、故郷は地理的には今の韓国(南側・全羅南道)なのですが、祖父母は、朝鮮半島が分断前に日本にきているので、南・北問わず、「祖国」だと思ってます。社会学者として近代国家、国民国家のあり方、問題性について考える際に、祖国が2つあり、それも「仮」、「過渡期」である国家を持っていることは大変有利だと思っています。加えて旧宗主国で生まれ育ったことも同じように、ポジティブに考えています。

田中:ありがとうございます。では、次は夏生さん。

吉田:吉田夏生と申します。普段は、東京の京橋にある「国立映画アーカイブ」という、映画の保存・研究・公開を行う国立の映画機関で広報を担当しております。研究者でもなく、ただの映画・TVドラマファンに過ぎない私ですが(笑)、素敵な場にお呼びいただいてとても嬉しいです。私はとりわけアメリカの映画やTVドラマが好きなので、今日はそっちの分野のファンなりに、『愛の不時着』についてお話しできればと思います。どうぞよろしくお願いします。また、なぜ銀の隣に座っているのかというと、私が銀の娘でして、こうして一緒に出演しています。『愛の不時着』を観たのは、今年の5月くらいに、銀に「めちゃくちゃ面白いよ!」と言われたのが最初のきっかけです。銀から韓国のドラマを薦められるのは初めてだったので気になって、すぐに1話だけ観ました。そのときは、漫画的な世界観をリアルに引き寄せる俳優たちの演技や、脚本の構成力の高さにとても驚いたのですが、「止まらなくてどんどん観ちゃう!」ってほどにはならず、そこで中断していました。ただ、そのあとに東子さんからも薦められて。いや、東子さんに言われたら全部観なくちゃいけないなと思いまして(笑)。それで最後まで観ました。『愛の不時着』にはアメリカのTVドラマとは全く違った方向性の面白さがあって、それがとても印象に残りました。

田中:ありがとうございました。私も簡単に自己紹介を。現在、大妻女子大学で教員をやってます。もともとオタク気質が非常に高いというか強いというか、今日もオタクが出過ぎないように頑張って押さえてます(笑)。さきほど開演前に聡子さんと喋ってましたけど、私は韓国のソテジワアイドゥルというグループに1994年から数年めちゃめちゃはまってたんです。なので、20数年前に韓国文化沼の底なしの恐ろしさを身にしみて知ってたので、ヨン様ブームのときも、2012年のK-POPブームも、この沼は沈んだら帰ってこれないと思って、薄目で、遠くから眺めているみたいな感じで過ごしてきたんですよ。ところが今回、『愛の不時着』はパートナーが「観てみる?」と言いだして、しかも知り合いの女性たちがみんな『愛の不時着』の話をしていたこともあって観始めたら―—第1話をクリックした瞬間から、それこそトイレ行く時間以外はずっと観続ける…みたいな感じで、三日三晩くらいで観終えてしまった。

 で、ハマってしまったかも、っていうのはもう、実は第1話からドはまりで…私、実はロマンスジャンルが大好きなんです。フェミニストにあるまじき趣味趣向かもしれませんけども(笑)。ロマンスモノが大好きで、そのロマンスモノのなかでも男女カップリングだけでなく、男男カップリングのものも嗜んでいるんですけども。男女カップリングの場合は、男女間のパワーバランスがすごく大事だと思ってて、フェミニストとしては両者のパワーバランスの均等なロマンスが大好きなのです。『愛の不時着』は第1話から、ユン・セリちゃんの強い意志というか、非常に自分のやりたいように、自分の意志で突き進んでいくという感じがとてもよくて、冒頭からハマっちゃいました。で、逆にヒョンビンさん、リ・ジョンヒョクさん―—中隊長のよさは、あとからじわじわみたいな感じで。結構ヒロインにひかれてぐいぐい観てしまったというところがあります。『愛の不時着』以降に観た韓国ドラマも、男性キャラよりも、女性ヒロインの描かれ方がすごく良いなあ、と思ってます。そんな感じですね。みなさん、他になにか推したいシーンなどあれば。

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聡子:わたしは、「慰安婦」問題も含めて朝鮮半島の歴史と社会運動について研究しています。特にジェンダー・フェミニズムに関心があり、研究・実践してます。圧倒的に、在日朝鮮人、韓国の事例を扱うほうが多いのですが。その中で、韓国ドラマも自然とそういった視点から見るようになりました。大先輩の在日朝鮮人のジェンダー研究者・山下英愛さんは『女たちの韓流――韓国ドラマを読み解く』 (岩波新書)を書いているのですが、友達には「次は聡子だね」と言われています。けっこう観ている中で、『愛の不時着』の特徴としては、ここ数年変わってきているのですが、財閥の描かれ方が従来とは少し異なっているかなと思います。「財閥はいじわる」VS「庶民は正直」、「財閥は育ちがいいから性格がいい」VS「庶民は意地汚いから嘘つき」という二項対立があったのですが、どんどん変化して、たしかに生育環境もあるけれど、社会的な変動にも目をむけているヒロイン像が登場しています。男性の描き方もただ「守る」という強さだけでなく、様々なバリエーションの「男らしさ」が登場していると思います。

田中:そのあたりどうでしょうか、夏生さん。

吉田:どこでハマったかをまだ言えていなかったのですが、私が最初にこのドラマが「何だかすごいぞ」と思ったのは、北朝鮮の描き方です。『ALWAYS 三丁目の夕日』のような、ノスタルジックな世界としての北朝鮮。豊かじゃなくても、市井の皆で支え合って貧しいなりに楽しく暮らす、という。そういう北朝鮮像って観たことがなかったので非常に新鮮でした。もうひとつ、「女性がかっこいい男性にうっとりする」という楽しさ・ときめきがストレートに描かれているのも良いなと思いました。リ・ジョンヒョクにスーツを試着させたユン・セリが、あまりの美しさに何着も着替えさせちゃうとか、北朝鮮のマダム一味が半裸のク・スンジュンを見てキャーってなるとか。それは言わば昔ながらの日本の「少女漫画的」な表現ですよね。少女漫画は「女子供の読み物」として下に見られてきた歴史が長いですし、女性のミーハーさって今でもちょっとバカにされがちな部分はあると思うんですが、ビッグバジェットでグローバルな“コンテンツ”でもあるこの『愛の不時着』で、女性のそういう感情をまっすぐに肯定しているのは何だか嬉しい気持ちがしましたね。

田中:なるほど。銀さんはどうですか? 女性キャラクターについては、多種多様な女性が描かれてますけど。

銀:村の女性たちが面白かったですね。上下関係があってなかなかに大変そうで。でもみんな上手く助け合ってたくましく楽しく生きている、というのがよかったです。あとデパートを経営している女性が出てきますよね。デパートを経営しているから羽振りもよくて、当然村の女性たちとの間には格差もある、という。私は北朝鮮の実情を知らないので、ああした描写には少し驚きました。

田中:そうですね。

銀:北朝鮮側の男性はほとんど軍人、女性は市井のビジネスで成功しているという描き方が印象的でした。そして村の女性たちの間でユン・セリがどんどん頭角を現していって。いつのまにか頼られる存在になるというところもよかった。辛い目にあう奥さんもいるのだけど、本当にひどい目にあう前に女性たちが何とか上手くやるっていうのも好きです。

田中:ありがとうございます。じゃあユン・セリに対するもう1人の主人公であるリ・ジョンヒョクさん。銀さんからぜひ。

銀:よろしいんですか?(笑) ヒョンビン大好きです。恋してます(笑)。観続けていてどんどん好きになりました。刈り上げも軍服も似合って清潔感があって素敵。美しい。アロマキャンドルとか、ヒョンビンだから許せると思います。あんなに演技が自然なのはすごいですよ。思わず実際のヒョンビンも内気で照れ屋なのかなと妄想しちゃいますもの。

田中:銀さんは芸能というお仕事柄、今回の登壇者のなかでは一番、ハンサムな方々を間近に見てらっしゃると思うんですよ。テレビや舞台であまたのイケメンを近くで見てきたであろう銀さんでも、そんなになっちゃうって凄いですね。だってもう、うっとりしてますよね。

銀:うっとりしてます。ちょっとありえないですよ。あの美しさ。

田中:聡子さん、ヒョンビンの写真の共有をありがとうございます(笑)。聡子さんはどうでした? ヒョンビンさん。

聡子:最初に知ったのは、2005年の『私の名前はキム・サムスン』っていうドラマです。それこそソウルに名所を見にいきました。でも、それ以降たくさん素晴らし俳優さんが登場してきたこともあり、私の中でヒョンビンの位置はそこまで上位にはいませんでした。今回もそこまでいい! とは思わないけど、「成長したな、ヒョンビン」って感じになりました。1つは俳優の競争がすごく激しい中で、よくここまで生き延びたな、ヒョンビンっていう思いです。彼は2004年デビューです。それこそ「若くてイケメン」って時代は終わったら、やっぱり「人間としての魅力」がないとだめだから、相当勉強もしていると思います。韓国中央大学の演劇科っていうすごく有名なところ出ていますけど外国語も多数話せるとも聞いています。そう言った意味で、魅力的な俳優になったなと思っているところです。

銀:ヒョンビンの他のものも少し観たのですが、やっぱり『愛の不時着』はちょっと特別かなって思いました。他のものもちゃんとやってるしカッコいいんだけど、なんか足りない気がしちゃう。このドラマで彼は「はまり役」という言葉もかすむくらいの「役」に出会って、100%以上の演じ方をしちゃったんじゃないかしら。他のドラマを観て確信したのですが、私はヒョンビンが演じるリ・ジョンヒョクにうっとりしているということですね(笑)。

田中:ヒョンビンさんが演じた『愛の不時着』の中隊長のキャラクター設定が、もうなんか「女の人たちの夢と欲望を全部詰め込みました。かっこよくて強いのに、押し付けがましくなく控えめで、しかも母親のように日常生活全般だめなユン・セリちゃんの面倒を見て、甲斐甲斐しくご飯を作って食べさせてくれて」っていう。たとえば最近のディズニープリンセス映画って、プリンセスはすごくラディカルに代わっていて魅力的なんだけども、弱冠、王子ポジションが迷走気味だと感じることがあって。『アナと雪の女王』もそうなんですが、いわゆる王子ポジションは腹黒なキャラとなり、ヒロインのお相手役の男性は、身分は王子ではなく一般の男性で、優しくて見守っていてくれて女性と対等にふるまってくれるいい人なんだけど、「ごめん…君にはときめかない…」っていう感じなんですよね。でも中隊長は、現代の自立した女の人たちを脅かすことなく、だけど、めっちゃときめける♡ みたいな。この「設定てんこもり」のキメラのような男性キャラクターをよく1つに上手にまとめあげたなぁ、演じているヒョウンビンさんはすごいなあ、って思って見てました。どうなんですかね、洋ドラの王子ポジションの男性キャラクターとかと比べて、ありがちなんです?

吉田:それこそ、TVドラマに関して言えば、二人の男女がいて、出会い、恋に落ち、それが成就する―—その間にある波乱万丈を描くといったオーソドックスなメロドラマって、現在のアメリカではほぼ作られていないと思うんですよね。日本でも見られる作品では、ということではありますが。そういえば、『愛の不時着』にハマった友人にどこが面白かったかを聞いたら、やっぱりディズニーを引き合いに出していました。ディズニーといえば、2010年代に入ってから特に、ポリティカルコレクトネスに配慮し、多様性を尊重した物語作りを率先して行なっていますよね。『アナと雪の女王』(2013)は、男性キャラクターを脇に置いてシスターフッドに着地したことで注目を集めました。“価値観のアップデート”が映像表現においても重要視される今―—もちろんそれが非常に重要であることは私も理解していますが―—同時に、作り手がそのポイントにフォーカスしすぎてしまい、作品自体の面白さが追いついていないと感じる映画やTVドラマも結構あるようにも思うんです。友人が言っていたのも、そういうことなんですよね。ただ、『愛の不時着』は、そういう“アップデート”もしっかりしつつ、ひとつのエンターテイメントとして純粋な・爆発的な面白さがあった、ということでしょう。

田中:ここで、韓国ドラマをいくつも見始めているという銀さんにお聞きしたいんですけども。韓国ドラマの俳優さんの演技はどう見えてますか?

銀:感情表現が激しい印象はありますね。私はそういうのも好きなんですけど、ヒョンビンはこのドラマの中で大声を出して人を怖がらせるようなことは一回もしていないんですよね。一般的なイメージから少しズレてる感じがして、そこがよかった。全部観て、ああいう風に控えめに演じたことがどれだけこのドラマを底上げしているかよくわかりました。

田中:この辺で聡子さんに韓国ドラマの制作状況、週にどれくらい放映されているのかなど、基礎的なことについて教えていただきましょう。

聡子:と言いながら専門でもないので今回勉強したんですよ。もともと知ってたことと知らないことがいっぱいあったのでまた一つ専門知識が増える期待を自分でしています。

 最初にこのイベントはミーハートークイベントなので、それを踏まえてあまり小難しいことを言わない方がいいのではないか、と思っていたんですが、一応、研究者なのでね。日本では「韓国ドラマ」「韓流ドラマ」としてのいち部分を切り取られがちですが、韓国は多くのエンターテインメントの分野で世界市場を席巻してます。ある意味では、それは植民地支配、軍事独裁政権、保守政権が繰り返される中、「自主自立」をどうにかしてきた表れでもあると思います。ですので、ドラマに限らず、映画ではアカデミー賞を取ったり、ブロードウェイミュージカル、ビルボードでは1位を獲得してきています。韓国が素晴らしいとかいう前に、普通に資本主義で資本投下されていければ、成長すると考えた方がいいと思います。それを著しく「奪われて」きたから、日本よりも「遅れている」と思ってしまっているに過ぎないです。その韓国のエンターテインメントが世界に受け入れられ、日本の市民が大好きになることは、ごく自然なことのように思います。また日本だけでなく、インドネシア、ブータン、タイ、ベトナム、など東南アジアでは韓流は大きなジャンルになっています。 

 どうしてこうなってきたかというと一つの要因に、民主化前は大変言論統制が強かったため、90年代の民主化以降人々の表現とか演技というのがすごく奨励され、人々もたくさんの表現活動に勤しんだわけです。ドラマに焦点を当てれば、年間130本以上作成されています。「どこまでをテレビ局か」と議論になってるくらいテレビ局数は多いです。当たり前ですが、放送の自由は民主主義の要です。現代の日本は民主主義的じゃない側面が多々ある一つにテレビ局も含めてたメディア荒廃があげられますよね。

 韓国ドラマの話に戻すと、日本と大きく違うのはCMがドラマのなかにはいらないことです。これは1974年の放送法で制定されています。韓国の法務部の説明によれば、番組の間にCMを入れない理由、「サブリミナル効果」への問題ををあげてます。放送局・作家・俳優にとって作品を届けることが大事だから、作品の間にCMがないというのは大きい。もう一つの特徴が、多くのドラマは、週に2回放送することです。もう一つ特徴を言えば、1話ごとのドラマ時間が必ずしも同じではないということです。また、韓国は放送局の数がおそろしく多くて、なにをどうカウントすればいいか難しくて。総合局、ニュースだけ、ドラマだけ、スポーツだけというのがたくさんあります。ソウルのホテルに泊まったらあまりの局数の多さに「なにをみていたらいいかわからない」くらいです。大好きなソウルに遊びに行ったけど、ホテルでずーとテレビを見ていたいくらいです。まだまだ、韓国ドラマを取り巻くエトセトラはありますが、いずれにしても総合的に考えないと単純に「イケメン俳優だけが出てればいい」とか「有名作家が書いてればいい」ってわけじゃないそうです。という論文を、このイベントの予習のために、なんと読んでしまい、面白いなと思ってるうちに夜が明けてしまいました。世界中で韓国ドラマの研究もたくさんありますので、奥が深いのです。みなさんも読んでみてください。

田中:聡子さん、ありがとう。まだいろいろ作品について話したいところもあるので、引き続き進めます。まずは、この企画の宣伝をFacebookで書いたときに、日本映画大学のハン・トンヒョン(韓東賢)さんから『愛の不時着』についてインタビューに答えている朝日新聞の記事を送ってもらったので、みなさんに紹介しますね。この記事、『愛の不時着』のようなストーリーを可能にしている昨今の朝鮮半島の政治情勢や、良きにつけ悪しきにつけファンタジーのもつアイキャッチ力についてとても的確に説明してくださっているので、ぜひ読んでみてください!

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 コメントもたくさんいただいております。これ、聞いておこうかな。チャットでいただいたコメント「『不時着』における北朝鮮の表象についてですが、このドラマは韓ドラの伝統やステレオタイプをすべてひっくるめて引用・パロディ・暴走したドラマで、そこに「南北分断」というもっともシリアスなテーマを盛り込んだわけなので、そもそも北朝鮮の真正な表象をめざしていたわけではなく、北にもこんな素晴らしい人たちが住んで生きているということを南の人たちだけでなく、世界中の私たちに心から思わせるドラマだと思います。」について。

聡子:その件については、『週刊金曜日』の記事がとてもよかったので。

田中:『週刊金曜日』7月3日号に演出のイ・ジョンヒョン氏のインタビューが載っています。こちらを読む限りでは、かなり演出家というか制作サイドでは脱北者の方にインタビューをして、相当情報を聴き込んで、うまく再現しようとしたっていうことなんですよね。けれども、最初のほうで夏生さんが『三丁目の夕日』的なノスタルジック感を北朝鮮の側に背負わせて、どちらかというと「資本主義の発達した韓国」vs「昔ながらの北朝鮮」―—ユン・セリちゃんが途中で「オーガニック」って呟くシーンがあって、これなんかは、単純にノスタルジックに北朝鮮を表象しているというよりも、北朝鮮の生活を見てそれをオーガニックと言っちゃう、資本主義に脳まで侵されてているユン・セリちゃんを戯画的に見せるシーンだなって、私は感じたんですけど。

 韓国と北朝鮮との表象の対比、先進的な資本主義対ローカルな共同体が残っている北朝鮮、みたいな対比的な表現がややもするとすごくオリエンタリズム的というか…なんだろう。非常に韓国が北朝鮮を懐かしむような眼差しで描かれているという意味で。それはでも、このドラマを見ている世界中の人たちに、北朝鮮のイメージをものすごく憧れというか素晴らしい、素敵なところなんだなって見せもするし、でも他方では、少し遅れた地域であるとか、外部との情報の遮断により独特な文化が温存されている地域なんだ、っていうような。そういう両方の面が、北朝鮮の描き方のなかであったのかなと。ここまで話して、聡子さんにバトン渡してもいいですか。

聡子:『金曜日』の記事を読んで改めて思ったのが、「表象」はあくまでも「表象」なので「事実」にもとづくものかは別であるということ。もちろん、受け手側が「鵜呑みにする」こともあります。ですから、「嘘」を描いても許されるということではないです。しかし、大事なのは、作り手がその状況(今回の場合は「朝鮮民主主義人民共和国」の描き方でしょう)をどう「解釈」しているのか、だと思います。それには、いろんな分析の仕方があります。専門の「慰安婦」問題でも、しばしば「どう作品に表現されるのか」が議論になります。実は、韓国では事実に関する論争はもうなくて(歴史的事実だからそこをどうこうは終わってる)、あった事実をどうやって、人間の表現力で表現するのか、になっています。これは社会運動の成果であるために、『愛の不時着』とは異なるとは思いますが、大きな要素としては、ムン・ジェイン政権になってより「南北統一」が実現身を増したからだと思います。いままで多くの韓国が表象する「朝鮮民主主義人民共和国」は、暗くて怖くて本当に悪の枢軸で、「自分たちと同じ民族なのになぜこうなっちゃったんだろう」っていうことがかいまみえました。

 私が最初に思ったのは「これは韓国の懺悔」だと思いました。今回の『愛の不時着』で描かれる軍・警察などの治安機構の姿は、韓国が軍事政権下でやってきたことです。それを表象していると思ったんです。だからとても上手だしとてもこなれている。朝鮮民主主義人民共和国を描いているというよりは、植民地時代に日本軍がつくったシステム、蛮行を行っている虚しさを描いていると思いました。これは、もしかしたら、韓国は克服したけど、朝鮮民主主義人民共和国はそうでないと、言っている可能性もあります。監督のインタビューでは、これはコメディだ、といっていて、すごく興味深かったです。ただ残念だったのがもっと知ってる在日朝鮮人にインタビューしなかったことに 韓国における朝鮮半島の、統一に対する考え方の、やっぱり限界だなって思いました。朝鮮民主主義人民共和国を、知ってる、継続的に行ってる在日朝鮮人にインタビューした方が絶対よかったはずです。ただ朝鮮のプロパガンダをみたり、朝鮮民主主義人民共和国から韓国にきた人に聞いたりじゃあだめでしょう。フィクションであればあるほど、事実の積み重ねが大事なってくるのです。それではじめて、フィクションを通して韓国はどう考えているのか、これを観たときに面白さがわくのです。 

 それから、ぐっときたシーン。まだみてない人もいるので「ネタバレ」はよくないのですが・・・。ユン・セリがね、自分の故郷を海州(ヘジュ)の尹(ユン)だというんですね。海州とは北側にあるんです。一方リ・ジョンヒョクは南にある慶州の李(リ)だという。これみて、「よく描いてるな」と。日常に南北離散がある。作家・監督は、「南北統一へのメッセージはない」としていますが、統一したらどんなことが起きうるのか、韓国が描く、作家が描く姿が見えました。韓国では「グルメ」で通っている、主人公ユン・セリが、朝鮮半島伝統のお菓子を食べたり、朝鮮民主主義人民共和国の生活を「文明の遅れ」として位置付けるのではなく、「オーガニック」としているところが、ものすごく「グッ」ときました。 

田中:いま出たユン・セリちゃんが韓国にいたときは食事をしなかったというお話。彼女は「少食姫」ってあだ名で呼ばれていて「私に三口以上食事をさせるためにソウル中のシェフが頭を悩ませてる」と語るシーンがあるんだけど、北ではユン・セリちゃん、ずーっと食べてるんですね。私はそのずーっと食べてるところが普遍性があるのかなって思って。なぜ彼女が少食だったかというと、韓国社会の、資本主義が隅々にまで行き渡った社会では、女性というのは綺麗で痩せていて細くなきゃいけないし、しかも彼女は韓国社会で孤独を抱えていて、誰とも一緒に食事を取らないキャラクターとして描かれているんだけれども、それが不時着した先の北では、常に誰かとご飯を食べている。常になにかを食べている。三口どころか、ひたすら食べてる。そういうユン・セリちゃんがずーっと食べてたね、っていう回想シーンなんかも作中にあってすごく面白いんだけど、そういうところが、見ている女の人達の心をぐっと掴んだのかなって思ったりもしたんですよね。

聡子:美味しそうに食べてますよね。もう一つ重要なのが、例の朝鮮民主主義人民共和国の彼女、ソ・ダン。朝鮮民主主義人民共和国の財閥のお嬢様なんだけどおかしく描いてなくて。韓国にいたときのユン・セリと同じように描いているというところ。上流階級のものっていうのはこういうものだ、っていう設定は、社会主義でも、資本主義でも、同じという、女性の表象はよかった。

田中:政治体制は違うけれど、若い女の子は細くて優雅でなきゃいけないっていうのは同じ。それが、ある種のボーダーを越えることで、抑制や抑圧から解き放たれて食べ続けるようになる、みたいなところですよね。ソ・ダンちゃんも、南からきた男性であるク・スンジュンと良い感じになってクールなお嬢様なのに、スンジュンと2人で深夜にラーメンをすするシーンがありますよね。そういうシーンが出てくるんですけど、ここでボーダーを越えるみたいなところで夏生さんに話を振っても良いですか? 夏生さんって普段、なんか麻薬王とか麻薬の密売人のドラマばかり観てるじゃないですか(笑)。ロマンスものを観ているイメージがなくて。

吉田:はい、確かに麻薬王や密売人の作品はよく観ていますね(笑)。決して「ワルっぽいのが好き」みたいな理由ではないので、そこは明確にしておきたいです(笑)。私が関心があるのは、アメリカと中南米(特にメキシコ)間の麻薬密輸・密売をテーマにした作品です。映画の『スカーフェイス』(1983)を始め、昔からそういった作品はありますが、特に私は麻薬密売をビジネスという側面からしっかり描いている作品を面白く観ていて、2010年代前後からそういった作品が増え始めたように思います。TVドラマだと「ブレイキング・バッド」(2008-2013)と「ナルコス」(2015-2017)というふたつの傑作がありますね。これは現実にメキシコで麻薬戦争が激化して以降の時期と重なってもいますし、こうしたテーマを娯楽として消費することの危険性には意識的でないといけないとは思っていますが。

 『愛の不時着』と「麻薬密輸モノ」には、2つ、リンクする部分があるんですよね。まず1つ、麻薬密輸は意外とローテクなんです。ドラッグの精製方法はもちろん、それをトラックの床下に隠したり、お菓子の缶に入れたり、密輸するための技術もローテク。また、売り上げはキャッシュでどんどん溜まっていくので、それをたたんだ服の間に忍ばせて真空パックして箪笥に隠したり、床下や壁の裏側に隠したり、あらゆることが秘密裏なんだけど「目に見える」かたちで起きていく。『愛の不時着』も、北朝鮮はすごくローテクじゃないですか。簡単にインターネットや携帯電話が使える世の中だったら、あのサスペンスは生まれ得ないですよね。よく停電するという設定も、物語に良いスパイスを与えていました。

 そして2つ目、何よりリンクするのは「ボーダーを越える」ということですね。越えてはならない線を越える、行ってはならない場所に行く、というのは、映像という表現メディアと非常に親和性の高いストーリーラインだと思うんです。「麻薬密輸モノ」であれば、米墨国境という長大な「ボーダー」沿いでさまざまなドラマが起きる。『愛の不時着』では、38度線ですね。ユン・セリが韓国に戻るとき、リ・ジョンヒョクが38度線を「一歩だけ」越えて……というシーンがありました。あそこにボーダーがある(と観客/視聴者が知っている)からこそ、たったの一歩に「リ・ジョンヒョクの想いの強さ」がグンと表れて、あそこまでのドラマチックさを帯びるわけですよね。

 あと、「ブレイキング・バッド」以降くらいからかなと思いますが、アメリカではTVドラマで「映画的」表現を目指す、というのが一つの指標としてあるように見える。TVドラマは小さい画面で見られるものだから、人物への寄りのカットが多かったり、ザッピングができるから視聴者を飽きさせないように細かくカットを割って、効果音楽も多用したり、あと過激な性的・暴力的表現は控えたりと、TVドラマという特性が表現形式そのものに影響を与えている部分があった。ただ、この10年くらいで、そういうお決まりごとをどんどん破る、TVドラマの可能性を広げる作品がどんどん出てきた。TVドラマで活躍した監督が映画に進出するのは今までもよくあったと思いますが、今は、映画で既に活躍してる監督がTVドラマの監督・製作を手がける事例が増えてきています。デヴィッド・フィンチャーとか、ジャン=マルク・ヴァレとか。俳優も、同じですね。「TVドラマが映画を目指すべき」とは思いませんが、アメリカのTVドラマはその方向に進んでいる気がします。動画配信の隆盛期にあって、それこそ、映画とTVドラマの「ボーダー」もどんどん薄れてしまうのかもしれませんが……。でも、それで言うと、『愛の不時着』は「TVドラマとしての」完成度をものすごく追求している感じがしたんです。そこに逆に、最近のアメリカのTVドラマにはない新鮮さを覚えました。

田中:そのあたり、どうですか聡子さん。いま韓国の『愛の不時着』というのはすごくテレビドラマを―—究極のテレビドラマを目指してる感じのつくりに見えるというふうに夏生さんからあったんですけど。

聡子:『愛の不時着』は、大手映画制作・配給会社であるCJエンターテインメントが近年作ったテレビ局が放映しています。CJエンターテインメントはサムスン系列です。ですので、映画のノウハウがすごくある。み初めて、最初に「あ、これ、韓国ラブコメ映画だな」って思いました。なので、映画のノウハウとドラマならではの、「長さ」が生かされた作品だと思います。

 近年、このドラマが証明しているように、Netflixで配信されると、決まった時間に放送局をみるのではなく、自分の好きな時間に好きな場所でみるようになれば、映画とも、ドラマとも違う形を模索しなくてはいけないですよね。それこそメディアミックス。韓国の有名な放送作家(ドラマ作家)さんのブログに「映画のほうが地位が高かったけどそんなこといっていたら、作家としてもうやっていけない」と叫び声のように書かれていました。さらに、最近ではSNSを通じて「リアリティー」ジャッジがすごいとも言われています。ドラマのシーンで、婚姻届けの生年月日が間違っていたりしたら、に「あれはんなんだ」ってSNSに書かれたり。

田中:ありがとうございます。やっぱり映画って時間の制約が大きいのに対して、テレビドラマ——韓国のドラマは時間をちょっと長くしたりできるというのをおっしゃってましたけど、そうすると2番手、3番手のキャラクターの心理、どういう人でどういうキャラなのか、ってとこまで盛り込めるところも、テレビドラマのいいとこじゃないかしら。それでいくと『愛の不時着』は主演二人もめちゃめちゃいいんだけど、2番手の、ソ・ダンちゃんっていう北朝鮮のデパート経営者の1人娘っていう人もすごく素敵。ソ・ダンちゃんが女性の2番手だとすると男性のク・スンジュンっていう貧困家庭育ちで、その後、父親の復讐を果たすために実業家になって…っていう人がいるんだけれども、そういう2番手であるといか、ここまでまだ一度も話が出てきてないですけど、中隊長の部隊に所属する4人組っていうのが、いい働きしてる。こういう脇役ひとりひとりに愛着をもって、丁寧な描き方をしていて、そういうところも視聴者を魅了しているのかな。主演以外の他のキャラクターにも、もしなにかあれば思いのたけを。

聡子:私がこのドラマで惹かれたのは、実は女性たちの生き生きとした姿でした。よかったですね!

吉田:私はリ・ジョンヒョクの部下の4人組が好きでした。チーム男子的なワチャワチャしたかわいさがあって、全員バリバリにキャラ立ちしていて、出てくると嬉しくなっちゃいましたね。韓国ドラマ好きで、チェ・ジウのファンの男の子がいたじゃないですか。ユン・セリとリ・ジョンヒョクに何かが起きると、彼が他の隊員たちに「南のドラマだと、こういうときは●●になるんだ!」って解説したりして(笑)、物語の外側からの視点を取り入れる役割をちょくちょく果たしていました。「『愛の不時着』も韓国TVメロドラマの系譜にあるけど、従来のメロドラマのお約束事を意識した上で遊んじゃう、メタ・メロドラマでもあるんです」っていう、作り手側のスタンスがわかりますよね。メタにしすぎると肝心の「メロ」が冷笑的になってしまいそうなところを、全くそうはなっていないのも、うまいな〜と思いました。

田中:韓ドラ好きのジュモクくんですね! 彼の韓国メロドラマの知識が、北朝鮮の男の子たちとユン・セリちゃんのふるまいとのギャップについて理解するための通訳の機能を果たしている、という作り方は本当に上手だなあ、と思いましたし、断絶された時間によって解説がないと分からないくらい言語や行動様式に違いが生まれているのだということも示しているのかな、と感じました。両国で使われている日常的な単語が異なっていることなど、『愛の不時着』を観ながら両国の言葉についてもいろいろと調べ始めて、たくさんのことを知ることができました。

 あと、さっきいったダンさんとク・スンジュン。2番手同士の恋愛的なものもストーリーのなかで描かれてるんですけども、これも実はロマンスジャンルの定番で。ロマンスジャンルで主人公たちのライバル同士が結局くっついてしまうっていうのはお約束ですけど。ク・スンジュンとソ・ダンという2番手それぞれ主役たちの恋のライバル同士が、北と南のそれぞれ出身で、この2人がだんだん近づいていくっていう話が描かれていきます。私はこの2人のエピソードがこのドラマをよりいっそう魅力的にしていると感じてます。というのも2番手キャラって主人公たちの邪魔をする存在として登場するので、ややキャラが立ってるというか、性格がいびつだったり意地が悪かったり、そういう人たちなんだけど、そういう人たち同士の恋愛の方がむしろ面白いというか。映画だと時間的制約でここまで詳細に脇役を描けない、あとは想像にお任せしますってなっちゃうけど。そのあたりが丁寧に描かれている。

 それから、女子キャラの話をもう少し深堀りしたいなと思ってるんですけど。この『愛の不時着』に出てくるユン・セリちゃんとかダンさんっていうのは、日本のロマコメとかラブコメの女子キャラクターからすると先端の、というか現代的な、というか、フェミニズムを通過したあとのキャラクターのようにも見えるんだけど。聡子さんがこれまで観てきた韓国ドラマの中で『愛の不時着』の女子キャラクターというのは、そんなに先端なのかどうか。

聡子:要するに表象なので一歩先をいくものをつくらないといけないし、もちろん現実とかけはなれてもよくないので、韓国社会におけるフェミニズム運動もいれなくてはならないから。そもそも、このドラマはヘテロセクシャルですよね、つまり女が男、男が女を好きになる物語だから「普通」程度の設定だと思います。何か規範を壊すということをやってないので先端か?といわれるとそうでないけど。でも今までの、というかここ5年くらいは普通かなって感じなんですけど、韓国ドラマの随所に「先端のフェミニズム」の要素が出てきます。

 その側面からいえば、『愛の不時着』は普通のメロドラマだなって感じがあります。それはなぜかというと最近のジェンダーイシュー(結婚制度への疑問・反対、結婚インターン制度とか、ゲイ・レズビアンへの問いとか、セクハラ・性暴力告発とか、男尊女卑告発とか)を描いていない。そこまでラディカルじゃないってことですね。フェミニズム的な展開を全面にするものではないです。一方、ムン・ジェイン政権後、大きく進展した南北統一を下地にしていますし、軍事政権化の「冤罪」(共産主義レッテル及び親朝鮮民主主義人民共和国パージ被害者)を補償する動きなどが、このドラマには反映されていると言えるかなと。

田中:例えば、飛び抜けたフェミニズム・ドラマの代表はなんですか?

聡子:『魔女の法廷』などは最近の性暴力問題を取り扱った話題作品です。ただ、これが<フェミドラマ>と言うよりも、韓国ドラマの特徴として、各ドラマにフェミニズム要素を突っ込んでいることだと思います。要所要所にフェミ的な視点を入れていく、これが真髄です。要するに、飛び抜けたヒロインがいるのではなく、日常にフェミをどう浸透させていくのか、それを模索する姿が、ドラマにも出てきます。フェミニズムだけを追求するドラマはあんまりなくて、総合的な、恋愛ドラマにフェミ的視点をいれていく。

 その中でのピカイチなのが『適齢期惑々ロマンス~お父さんが変! ?』 です。この題名みて、変だって思いませんか? そうなんです、日本語題名が変なんです。日本の宣伝では「適齢期の男女がどう恋愛するか」ってことがパッケージングされてます。でも実際は、「아버지가 이상해」(お父さんが変)と言う題名です。ネタバレはいけないのですが、このお父さんが変っていうのがキーワードなんです。ドラマの中には、韓国の結婚制度への疑問、熟年離婚、朝鮮戦争、韓国からの移住問題、いじめ、芸能界の問題、女らしさ、男らしさ、妻らしさ、夫らしさへの抵抗などなど...。とにかくジェンダーの授業でやる内容が盛り沢山なんです。

田中:ありがとうございます。『愛の不時着』から始めて他の作品をたくさん観ていくことで、さらに先鋭的な女性の出てくるドラマに出会えるかもしれないと。男性キャラクターはどうなんですか?

聡子:男性の表象もだいぶ変わってきててマッチョで、強くて家父長制的でいつでも守るいつでもたたかうっていうのとはちがう多様な男性像が登場してます。

田中:銀さん、お話出来る範囲でいいんですけど、日本のドラマの脚本をかなり読んでらっしゃいますよね。2000年代に入ってからの日本社会では、男性女性の描かれ方の変化ってありますか?

銀:この20年間で、そんなに大きく変わったとは実感していません。でも、今は変わり続けている最中で、その変わり続けているということが重要だと思います。韓国では、ひとつのドラマの話数が長い、ということもあって細部を消さずに作れる、というのはいいですよね。日本ではこれをやるとしたら主演以外の人にもいっぱい時間とらなきゃならないから、どう描くのかなとちょっと思いました。

田中:あとは、『愛の不時着』がどうしてこんなに日本で受けたんだろうかっていうところが気になります。私が感じたのは、コロナ禍があり、自粛生活中にいったん日本社会が―—日本もそうだし世界もそうなんだけど―—生活がストップしたということは重要かなと。ストップして立ち止まって今の生活を振り返るっていうときに、資本主義というものを相対化させてくれるような視点をね、『愛の不時着』のなかに見つけたのかな、っていうところが大きかったんじゃないかと思うんですけど。他にもうひとつ、これは北と南の描き方ということで、なんていうんですかね普通に韓国のドラマとして、北朝鮮をまなざすっていうときに、韓国側のキャラクターを男性にして、北朝鮮側を女性にするっていうのが従来の描かれ方だったと思うんですけど、そこを男女を逆にしたところが、革新的だったと思います。南が北を眼差すというオリエンタリズムに陥らないように、バランスをとるために、男性と女性の配置を従来の作品と逆にしたのかなって思うんですけども。聡子さん、従来の韓ドラで、これまでにも韓国と北朝鮮両国の出てくるドラマや映画がたくさん作られてきていると思うんですけど。このあたり男女の配置についてはどうですか。

聡子:南=男性、北=女性、というのが定番の配置でした。最近で有名なのは『キング ~Two Hearts』です。地上波ではTBS、その他BSーTBSなどでも放映されたので、日本でもみた人いるのではないでしょうか?また、イ・スンギ、ハ・ジウォンという「大韓流スター」が主演のため、これも『愛の不時着』同様、世界市場を意識したドラマだと言えます。こちらも、メロドラマですね。これは00年代後半から2010年代当時流行った「もし朝鮮王朝が残っていたら、または植民地解放後に韓国に王政が復活したら」(代表作が『宮』です。全世界で大ヒットしました。現在もNetflixで見れるみたいです。という流れの一貫です。当時韓国は市民運動出身・高卒の大統領ノ・ムヒョン(盧武鉉)大統領が不慮の死を遂げ、保守派・在日朝鮮人初の大統領イ・ミョンバク(李明博)が登場する時期でした。韓国の建国アイデンティティが大きく揺さぶらられる時期でした。そこで、「絶対ありえないファンタジー」がたくさん生まれました。その一つが先ほど説明した「王政」です。これは言うまでもないですが、保守本流・権威主義の復権ですよね。それをテーマにし、さらに、イミョンバク政権になり、加速度的に朝鮮民主主義人民共和国との関係が悪くなった時期でもありました。わたしは見ましたが! 当時女優のハ・ジウォンに憧れすぎて同じ化粧品・服を買ってました。日本語のページからですが、こう言ってます。

 立憲君主制が敷かれる大韓民国の国王の弟、イ・ジェハ(イ・スンギ)は国や王座には無関心、自由気ままに暮らしていた。国王であるジェガンは、朝鮮半島の統一と平和を夢見、16ヵ国の将校が集まり能力を競う世界将校大会(WOC)に、韓国と北朝鮮による南北合同チームとして出場することを決定。ジェハは国王である兄ジェガンに騙されWOCに嫌々出場することに。一方、北では男顔負けの武術の実力を持つ女性将校キム・ハンア(ハ・ジウォン)がWOCのメンバーに選ばれる。これ以上強さを知られ、結婚から遠ざかりたくないハンアは断ろうとするが、「相手を世話する」という条件に釣られ、引き受けることに。

 このドラマのように「韓国が男」で「朝鮮民主主義人民共和国が女」が基本的な構図なんですね。保守政権でもあったので、、最初はやる気のない主人公がみるみるうちに、資本主義の韓国の強さと優しさで、最初は「男勝り」で「冷たい」社会主義の女性を徐々に、「愛」(資本主義的ロマンティクラブイデオロギー)で瓦解する。という設定ですね。

田中:なるほど。その男女の振り分けを逆転させた点も新しかったということなんですね。

吉田:あと『愛の不時着』は、母と娘の関係性もわりかし大きな物語要素だったじゃないですか。ユン・セリとお母さんも、ダンちゃんとお母さんも。日本の少女漫画だと、まだ恋愛モノを扱うようになる前ーー1950年代くらいまでの、だいぶ昔ではありますがーーは、少女と他者との一対一の愛を描くうえで「母娘もの」が主流だった時代があるんですよね。だから『愛の不時着』で、「男と女」に次いで、「母と娘」が大きな関係性としてあることをどう考えるのがいいんだろう、というのはちょっと気になっていました。しかも、ユン・セリは養子(愛人の子供)だということが比較的最初の方で明らかになりますが、具体的な経緯などは語られないですし、韓国ドラマを見慣れていない者としては、あの母娘の描写は色々と不思議に思うことが多かったんですよね。説明過多気味なドラマにあって、あそこだけやけに説明がないというか(笑) 聡子さんに聞きたいのですが、あの母娘描写は韓国の人にとってはスッと入ってくるような、よくあるものなんでしょうか。

聡子:実際の韓国社会がストーレにそこまで変化したかというとそう簡単にはいかないのです...が。あくまでも「表象」レベルで言えば、この「血縁」をめぐる問題もだいぶ変化してきました。ドラマのなかでは、明確に産みの親(血縁)より育ての親が大事っていうのが強調されるのが近年です。

 韓国では1960年代から今でもありますが、「離散家族を探す番組」があります。これは植民地、二つの大戦、朝鮮戦争、南北分断、経済移民、政治移民などの影響から、ディアスポラが朝鮮半島では常識だからです。朝鮮民族は、世界で一番離散している「民族」だとしている研究もあります。ですので、とにかくほぼ全員が離散しているですね。ですから、離散系=血縁系(白血病、実は兄弟姉妹だったかもしれない恋人、養子の問題など)を探すドラマはいつでも常に視聴者の心を鷲掴みにします。特にこれまた全世界で大ヒットした2004年のドラマ『ごめん、愛してる』は新離散問題とも言える、養子縁組のことがドラマになっています。これは、韓流スターであるソ・ジソプが主演、中島美嘉の「雪の華」のリメイク版が主題歌であったために、日本でのファンが多く、この時期に韓流ドラマにはまった人も多くいると言われています。このドラマがきっかけとなってリアルな韓国社会で、南北離散ではない血縁問題、韓国建国後の様々な要因で養子とされた人々への関心が高まりました。時期を同じくして2006年のトリノオリンピックでフリースタイルスキー・男子モーグルで銅メダルを獲得した米国代表のトビー・ドーソン(Toby Dawson)が、「なぜモーグルを頑張れたのか」の質問に「生き別れた両親にあうためだ」というインタビューが話題となり、その後生き別れとなっていた実の父親と26年ぶりの再会を果したことが韓国社会のみならず、世界中で話題になりました。それから加速度的にリアル・表象でこの血縁という古くて新しい問題が話題になりました。やはりそこで大事なのは「育ての親」か「産みの親」かという問いでした。そのため、このドラマにもそのエッセンスが入っているのです。

田中:母子関係の流れにたいして、今日は『梨泰院クラス』の話を全然してなかったので、ちょっとそちらにも触れておきますね。『梨泰院クラス』って父子関係しか出てこないっていうか、『愛の不時着』って主役双方のお父さんが―—リ・ジョンヒョク氏のお父さんは最後にちょっとひと働きしてくれるんだけど、ユン・セリのお父さんは、ほぼ状況に介入してこない。「お前、財閥の力は…?」ってツッコミを入れたくなるくらい、ほとんど状況に介入できない存在としてお父さんが描かれています。そういう意味で『愛の不時着』は母と娘のドラマであり、同じくらい日本で観られている『梨泰院クラス』は、父と息子の関係として描かれている。その対比が面白いと思います。

 さて、そろそろ終わりの時間が近づいてきました。ここでひとつ、大切なお話をしたいと思います。今日のトークイベント、お気づきの方も多かったと思いますが、銀さん、夏生さん、私は「北朝鮮」と呼び、聡子さんは「朝鮮民主主義人民共和国」と呼んでいました。打ち合わせの段階で、「北朝鮮」という呼称を無邪気に使用するのは問題ではないか、この点はきちんと考えた方が良いんじゃないかという議論は少しでしたがしたんですよね。実際のところ、Netflixの日本語字幕では「韓国」と「北朝鮮」と訳され、字幕がついています。日本には、ワイドショーやニュース報道によって形成されたある種の偏った「北朝鮮」イメージというものが存在しており、この呼び方をすること自体が問題をはらんでいるという点について、私たちは意識していく必要があると思います。その一方で、とはいえ日本では「北朝鮮」という呼び方が流通しているということもあり、今回は、同じ場でそれぞれの呼び方を用いることによって醸し出される「不協和音」こそを示すことに意味を見出したいと思ってました。聡子さんとしては「北朝鮮」という字幕にも思うところがあって、今日の2時間のどこかできちんとお話ししたいって言ってたよね。

聡子:なんでも海外ドラマは全部翻訳できないのは理解した上でですが。朝鮮語がわかる私としては「おもしろい部分」をカットしている時に出くわすんですね。ハングルの同音、家族呼称のジョークなどです。これの多くは「コリアあるある」で、韓国特有のこと、朝鮮半島特有のこと、在日コリアンでわからないこともあります。おそらくその多くは「言葉」のことなんだと思います。だから翻訳しないのかなと。

 もう一つ重大なことですね、このドラマと関係あることで、韓国では「北朝鮮」という言葉は使いません。そもそも「北朝鮮」は国名ではないです。もともとは「東日本、西日本」と同じく、植民地時代を中心に地方を示すことばでした。つまり、「朝鮮民主主義人民共和国」が建国される前から使われてたものです。韓国ではこれまた国名ではないんですが「北韓(ぷっかん)」といいます。このドラマでもみんな「北韓」と言ってます。もちろん、朝鮮民主主義人民共和国の人たちは自分たちの国を「北朝鮮」とは言いませんので、事実上あのドラマには「北朝鮮」という言葉は出てこないのです。東子さんが言ってくださったように、「北朝鮮」にはいろいろな意味が付与されすぎて、「わるい意味」としてしか流通していないので、事実上「北朝鮮」と発することは差別的であり、侮蔑的意味だと思います。なので、これは日本の問題ですね。しかし、だからと言って、どう呼ぶのか、意味も分からず言うことはできないと思います。ですので、「北朝鮮」と簡単に言わないのと同じように、じゃあ、どう呼んで行こうか、ということを真剣に考える時期に来てるかもしれないです。そのことも含めて、このドラマはいろいろなことを投げかけていると思います。

田中:『愛の不時着』は、今みたいな議論をするきっかけになってるんだなっていうふうに思いました。やっぱり、誰しもが何かを知るときには、はじめの一歩というものがあって。『冬のソナタ』のブームの時も感じたのですが、日本と韓国がお互いの文化やコンテンツを消費するっていうことは、両国の歴史を考えたときにすごく暴力的でもありますよね。ぽすけん第4弾に登壇した中村香住さんが使っていた言葉なのですが「消費することの暴力性」ということに、消費者は自覚的でなければならない…と考えつつも「イケメン素敵♡」とか言っちゃう駄目な私もいるんですけど……。

 『愛の不時着』って、PRとか広報でお金を積むよりも、ものすごく北朝鮮が魅力的に描かれている。「この人達のことをもっと知りたい」、「どんな人達なんだろう」っていう好奇心や、興味を非常に多くの人たちにかきたててくれる。もちろん、「暴力性」と「関心を呼び起こす」ということは紙一重だと思うんだけど、間口を広げていく、対話していく、作品について話しながらひとつひとつ学んでいく、考えていく、ということのすごくいいきっかけになっていると思いますので、これを機にいろいろと韓国ドラマそれから、朝鮮民主主義人民共和国のことをみんなで考えていきたいなと思っております。では、みなさん、最後に一言ずつお願いします。

吉田:韓国ドラマをちゃんと観たのは『愛の不時着』が初めてだったんですけが、“パッケージ”として完成されたクオリティに驚きました。観ることができてよかったです。今日はありがとうございます。

銀:本当に面白いドラマなので観てない方にはぜひ観ていただきたいと思います。

聡子:いろんな人から色々な意見があると思ってました。別に予想していなかったわけじゃないですけど東子さんが言ったようにこれをきっかけに、でヘイトではない型での、朝鮮半島のことに目を向けてもらいたいです。特に朝鮮民主主義人民共和国に対してもそうです。もちろん、ドラマに登場するものが、全てではないです。韓流ブームのときに賛否がありました。あんなものが広がったって朝鮮半島と日本の関係がよくなるわけない、と。それは一理あると思いますし「消費する」という行為だけを全肯定することはできません。事実、バックラッシュとして位置付けていいと思いますが、朝鮮半島に関する「ヘイトスピーチ」は加速する一方です。だけど残念ながら資本主義社会にいる私たちは、エンターテイメンとを知ってているし、消費を楽しむことを拒む選択はできないと思います。だとすると、よりよくするにはどうするか、が求められていると思います。

 その場合、今回は「ミーハー」的にトークをしましたけれども、別の視点から色々と議論ができるかと思います。それは、この時間、この枠組みだけで解決できることではないです。ですので、このイベントを聞いて「おかしいな」って思ったのであれば、そう思った人がイベントを開催したり、議論してくれたらいいと思います。そうでないと、知は生成されないと思います。繰り返しますが、2000年に韓流が解禁されて以降ヘイトも多いしバックラッシュもあるけど朝鮮半島に対するまなざしが変化したことは事実だと思います。批判するところは批判しながらもポジティブにどう私たちが考えるか、今私たちが問われていると思います。なぜ、こんなに『愛の不時着』が人気になったのか、いまいちわからないけれども、自宅にいる時間が増えたからかもしれないし、急に、朝鮮半島に興味を持った人がいたのかもしれないし、そこに関心がある人はそこを追求したらいいし、それぞれ皆さんが自主的に『愛の不時着』を楽しんだらいいと思います。今回、このイベントに出ることは「勇気」がいるといったら変だけど一瞬迷いました。私の仲間たちも来てくれて賛否を是非とも言って欲しいです。陰でこそこそ言って噂にすることこそ「消費者」のやる消費行動そのものです。特に、私と東子さんは研究者としてそれなりの発信力と社会的責任があります。ですので、それに答えていくことも課せられた仕事なのでどうぞ今後もよろしくおねがいします。

田中:本当にそのとおりでトーク時間は2時間しかないし、観てない人もいるのであまり細かいところは話せないという制約下でのお話しで、議論したいところは他にもたくさんありましたね。2000年代の韓流ブームは功罪あると思うけど、たとえば私の働いている学科では第二外国語で一番人気なのは韓国語なんですよ。うちは第一外国語は英語か中国語なので、その次に履修生の多いのが韓国語。それだけ言葉を学びたい、話せるようになりたいっていう情熱があるわけで、それをどう方向づけていくのか、水路づけていくのか、情報を提示していくのか、っていうところをみんなで考えていきたいし、『愛の不時着』人気というのは、すごく大きなパイになりうるのかなと。ということで、今日はこの辺で終わりにします。来週のぽす研もよろしくお願いします!

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