愛車と私② ホンダ・インテグラ─理想と遠いなら自分の手で近づけると意気込んだ(だけだった)
インテグラといえば、特に90年代のホンダファンにはスルーしがたい名前でしょう。シビックとアコードの間を埋める存在から、やがては一時期シビックよりもホンダのスポーツを牽引した存在。
公式コンプリートチューニングカーとも言うべきラインナップ「TypeR」が、NSX以外で初めて割り当てられたのもインテグラ。新車価格1000万円台のNSX-Rと同様のチューニングを施されたインテグラが、新車価格250万で手に入るとあって、当時はその手の若者に売れまくったと聞いています。
さて、時は流れて2005年。
前の記事で書いたとおり、私は父から譲り受けたシビックフェリオよりカッコいい車体を求めて、行き着いたのがそのインテグラでした。
とはいえ当時の免許はAT限定。まして社会人2年目で大した貯金もなく、ただカタチだけは気に入っていたとあって、中古でノーマルグレードのセダンを手に入れるに至りました。
シビックフェリオからインテグラセダンに乗り換えたとあって、順当なバージョンアップを期待していたのですが…
車格的にはサイズが少し大きくなったとはいえ、5ナンバーの範囲内
シビックフェリオと同じセダンボディ
エンジンは1600CCのZC、最高出力120psとまったく同じ
足回りその他も大体変わらず・・・というか、DB/DC系インテグラの販売開始は1993年から。一方でEGシビックは1991年からとあって、車体設計の世代的にはほとんど同じ
…とまあ、外見こそ変わったものの、シビックフェリオとほぼ同じ。
強いて言えばハードトップでサッシレスのドアはちょっとカッコ良かったし、シートも電動ではなくなったものの、若干バケット気味になって気分が昂るように。
それでも、このインテグラがとても気に入って。
TypeRではないノーマルグレードのDB6、当然オートマ。なので、まったくもって普通のコンパクトセダンだったのですが、それでも自分なりにカスタマイズして、いいものに仕上げてやろうという、根拠のまったくない自信に溢れ、実際一番いじったのがこのクルマでした。
具体的にはこんな感じ。
オーディオはヘッドユニットと前後スピーカー(ツイーター込み)をcarrozzeriaに変更
オートマのシフトノブをSABで買えるカーボン柄のものに変更
運転席のシートを中古のRECARO製に変更
エアフィルターをSPOON製に変更
マフラーのサイレンサーを中古のSPOON製N1マフラーに変更、流石にこれはプロに依頼
TypeRのリアウイングをヤフオクで見つけて設置、これもプロに依頼
スパークプラグをSABで買えるちょっと良いものに変更
以上、ここまで一切装着していない無限のステッカーを貼付
地元の同人誌即売会で買ったファイブスター物語のミラージュ騎士団のステッカーも、どういうわけか貼付
やー、イキってた。若かったとはいえ、だいぶイキってた。
こんだけやって足回りは一切何もせず、タイヤもインチアップも何もしてない、ノーマルのエコタイヤだったりするので、本当に気持ちだけ先行してたんだなあと、今にして思います。
クルマをいじったら、いじったクルマで出掛けたくなるもの。当時の職場はプロジェクト終了のタイミングならまとまった有休消化がやりやすく、宮城を出て福島・茨城・栃木・群馬と、ほとんどひたすらドライブするだけの旅行をしたりしましたし、mixiのインテグラオーナーコミュでオフ会をやったりもしました。最初は全員インテグラだったのが、徐々にシビックやプレリュードや三菱エクリプスが混じっていく、不思議なオフ会でした。
初めて自分で選んだ、自分だけのクルマ。
そしてクルマ好きになって、就職してお金が手元に入るようになって、さらに仕事で電装系のいじり方を少し学んだりもしたので、とにかくいじり倒すのが楽しかった時期でしたね。
ただ、やがて憧れは「マニュアル」と「VTEC」に移り。
また同時期に実家を出て福島で就職した弟が、毎週のように宮城に戻ってくるのに軽自動車だとしんどいので、普通車が欲しいと言い出しました。
結果、マフラーとシートをノーマルに戻して弟に譲渡し、私はVTECを求めて次のクルマに乗り換えるのでした。
2005年4月頃から2008年2月頃まで。
前のシビックフェリオほどじゃないですが、結構短い間の付き合いでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?