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パズルのピースがはまるとき(わたしの占い体験)

占うことにも占われることにもそれほど興味がなく、ただ漠然と占星術が好きだったわたしが初めて占星家を訪ねたのは20代前半、まだ出版社に勤めていた頃でした。懇意にしていたスタイリストさんが、当時女性誌界隈で話題になり始めた占星家の女性を紹介してくれたのです。


そのとき言われて印象的だったのは、「あなたの人生は多面体の上を歩くようなものですね。ある面の最後まで歩ききると、その次には目の前にまるっきり違う新しい世界が見えるでしょう」というようなことば(正確には覚えていないのですが)。
ただ、まだ20と数年しかこの世に生きておらず、育った家庭と学校と会社と恋人くらいしか世界を知らなかったので、何のことやら正直言ってよくわかっていなかったと思います。



1番目「多面体の上を歩いていく人生」

でも、それから15年くらい経った頃からでしょうか、「うわぁ、あのとき言われたの、こういうことかあ!」と思えるようになってきました。振り返れば――20代前半で父と死別したこと。新しいパートナーと出会って会社を辞めフリーランスになったこと。ライター仕事の浮き沈み。2001年の同時多発テロで何かが壊れて翌年同棲相手&猫と別れたこと。二度目の独り暮らしからの、結婚。パートナーの仕事を手伝うようになったこと。事業の失敗。促されて占星術の仕事を始めたこと。などなど。
いつもいつも、先は見えていなくて、多面体の辺に立ったときに初めて次の見たこともない景色が見える。(そして、翻弄されているようなんだけれども、冷静に振り返ると必ずある意味自分で選んだ結果としてそこに立っていることに気づきます)これって、多面体の上を歩く人生だなぁと、つくづく感じるのです(といっても、そういう生き方をしているのはわたしだけじゃないはずですが)。

2番目「文様をアレンジして彫る職人」

時系列的には、編集の仕事にライターの仕事、その上に料理の仕事が、さらにその上に占いの仕事が重なって、いまに至っています。
「占いもわかるライター(?)」としてのお仕事が増えてきた頃、ある占い師さんに取材する機会がありました。オーラや過去世の視える方で、取材スタッフのこともその場で軽く視てくださったんですね。わたしの過去世は「家紋などの文様をデザイン・加工して木の調度などに彫り込む、江戸時代の職人」ということでした。

これね。自分では非常に納得できるのです。何かをゼロから作ることは苦手で、すでにある材料をアレンジしたりきれいに見えるように工夫したりするのが得意なんですよね。
ライティングで言えば、クリエイターの方のお話を伺ってそれを読者の方にわかりやすいようにテキスト化したり。占いで言えば、ホロスコープの象徴(文様や記号とも言えますね!)の意味するところを整えてお伝えしたり。手近にある石や花や羽根を組んで、振ってきたメッセージをグリッドという形で「見える化」したり。写真を撮るときの画角や構図にこだわるよりは、撮ったあとレイアウトに合わせてトリミングやリタッチで見栄えするように変えていくのが楽しかったり。

3番目「ペガススのサドル」


とはいえ、そのときなるほど!と思ったことはすっかり忘れたまま数年が経ち。
昨年は、チャンドラ・ケイさんにお願いして、恒星パランのリポートを作っていただきました。
恒星パランとは、恒星と太陽系の惑星などの関わりから読み解く古代エジプト~古代バビロニアの占星術技法。


リポートでは、わたしの出生した日、どんなタイミングでどの惑星がどの恒星と関わったか、それがどのような意味を持つのかが説明してあります。いろいろ目から鱗だったのですが、そのなかでも印象に残ったひとつが、マルカブという恒星でした。
マルカブはペガスス座のサドルの部分の星。人間がペガスス=天馬を乗りこなすためのサドルは、「安定化」「有用化」の象徴。そのため、マルカブは「何かを人々のために有用な形にして供する」と解釈できるのだそうです。
この星が今生の「わたしらしさ」を象徴するとのこと。


それを読んだときは、正直、あまりピンと来なかったのです。まあ、文章を書いて読んでいただくのが仕事だから、たまには役立ていただけることもあるんだろうなとは思っていましたが……。あまり役立ってる実感がない(笑)。

というのも、わたし自身が子どもの頃から「みんな」から浮いていたせいなのか、人に役立つものが自分には役立たなかったり、自分に役立つと思えるものが人には不要そうだったりする経験を重ねてきているからです。
とりわけマスメディアに文章を書くときは瓶にメッセージを詰めて海に流している感じで、瓶がどこに流れ着いてどうなるのかまでは考えないところがあるんですよね。
それで、「有用性ね、ふーん……」とぼんやりしていたわけですが。

3つがつながって見えてきた


つい数日前に、「江戸時代に文様を彫る職人だった」と言われたことを突然思い出したとき、あ、「有用なものにする」ってこれか!とようやく腑に落ちたのでした。
自分がしてきたことを振り返ると、抽象化だったり、パターンに当てはめたり、流れを作ったり。ナマ情報からノイズを取り除く場合もあるし、美しく整えて咀嚼しやすいようにする場合もあります。


人は生きていればどうしても変わってしまうものであり、物理的にも対人的にも周りの環境が変わればその影響を受けます。
わたしは出生図で「柔軟宮」に分類される星座に天体が多く(10個のうち7個)、周囲に呼応して自分の動き方を決めていく傾向が強いのです。そのせいもあって何かひとつの目標を狙い定めてそこに向かって歩いて行くというよりは、多面体の上を歩くような人生になってしまうんでしょうね(ひとごとぽく言ってみる)。


ただ、来し方を振り返ってみて「あるものを使いやすくして伝える」みたいな部分では一貫していたかなーと、遅まきながら気がついたのでした。(やっぱり江戸時代には「ありもの」の文様をアレンジして彫っていたのかもしれませんよね)

3つがつながったらひとつのピースに


占いというと、当たる当たらないがとかく問題にされるのですけれど。
今回の件では、多面体と文様彫り師とペガススのサドルという3つの占いがぴたっとひとつのピースになったときに、ようやくパズルの穴にぱちっとはまったような気がしたのでした。
逆に言えば、どれかひとつ単体ではこういう気づきになりにくかったのかなとも思います(わたしが鈍いせいかも?)。
当たる当たらないも大切なのですが、わたしはどちらかというとこういう体験や手応えを占いに求めているところがあるようです。


当たったか当たっていないかと言えば、当たっていると言うのでしょうが(過去世に関しては検証が難しいので略)。
わたしにとってより大切だったのは、いままで「人々にとって有用かどうか」をあまり気にしないできたけれど、少しは考慮したほうがよりよさそうだという視点を得られたことや。(多面体の表面なので)一貫性もなくむちゃくちゃやってきた=流されてきたように思えるけれど、たぶんこれでよかったんだなという小さな落ち着きや。相変わらず何だかよくわからなくて確信は持てないけれど、自分の信じる道をこれからもがんばろうと思えたこと。などでした。


そんなわけで、恒星パラン、興味深いなと思って恒星占星術の勉強も始めたところです。<いつも、こういうふうにして多面体の新しい面に立ってしまうのです(笑)



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