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居場所があってもいけない理由

※長文となっています。また後で修正入れると思います。ご了承ください。

不登校の支援について文科省は、民間の力も活用することを言及しています。

自治体でフリースクール協議会が立ち上がったり、居場所等の活動を支援する動きや利用料を補助する動きも出てきています。

そのような流れを受けてか、不登校が増えているからか、居場所が増えているのを感じています。

ただ、居場所やフリースクールがあっても、そういうところに行けないお子さん、行けないご家庭も存在することを忘れてはならないでしょう。

文科省の調査をみると、3割程度の家庭がどこともつながりを持たず(持てず)に過ごしているようです。また、一旦相談先やフリースクールなどと接点が出来た7割の方々が、そのあとも継続的に関わりが持てているのかどうかはこの調査ではわかりません。

居場所があっても行けない。行かない。

その理由はさまざまで、私が把握していることを挙げると以下のようなことです。

心理的な理由

生活環境上つながらざるを得ない人達との日常のなかで、傷つく経験があった。

このような理由で不登校となっている場合は、つながることをポジティブに捉えられなくなっています。

子どもの場合は、コミュニティを自分で選ぶ力や権限はなく、与えられたコミュニティの中で生活しなくてはならないため、なおさらです。

そして、境遇がどうであれそうなった理由が自分自身にあると感じて自責の念に駆られていたりもします。

それでもまたつながってみようとする時は、まだまだチャレンジの気持ちが残っている時。自分の選択を試すために最後の力を振り絞るような感じ。

この尊い気持ちの使い道を慎重に考えたいところですが、このくらいのタイミングでは周りもついつい「まだ今なら元の生活に戻せる」と思ってがんばらせてしまう。

そして、求める気持ちが強い時には小さな違和感も気になったりするゆえなのか、うまく噛み合わず、ますますつながりを遠ざけてしまうことがあります。

知っておいてほしいのは

つながりは、人を癒すこともできるけれども、人をズタズタにすることもできるということ。

そして、大多数と違う行動をしていることは想像以上に心の重荷になるということ。不登校の場合は、自分のこれまでの生活が、自分の存在意義が危ぶまれる。そう思うほどの危機感となることもあります。子どもは生きる環境を選ぶ力がまだなくて、今の生活が全てだからです。

そこまでの想いをしている時に、通常と同様の思考力、判断力で応答していると思って接してしまうことが、つながりを構築しにくくしていると思います。(そのくらいできるよね、そのくらいわかるよね、自分のことだから決められるよね、という気持ちです)

ゲームみたいに、心のエネルギー数が見えたり疲弊感がビジュアルに現れたら良いのですが、子どもも賢いので防衛本能を働かせて知らない人に弱みを見せないようにする。

周りは、「しっかりしてるじゃん。大丈夫だね」とみる。

「大丈夫なんだけど、大丈夫じゃないんだよ。なんて言ったってわかりっこないよね」

そして、ついつい大事に取っておいた最後のハート1つ使い果たしてしまうかのように見えます。

揺れ動いている人とつながりを形成するのであれば、知ろうとすること、そこからの接点を探ること、語れる部分からの働きかけ、見直しと見通しつくりを繰り返すこと。

身体は辛いのにそんな自分が不甲斐なく、良い子でいたい、頑張りたいという気持ちを人一倍秘めていたりしますから「しっかりしよう」「ちゃんとしよう」「あきらめないでがんばろう」という言葉を封印して聴こうとすること。

それが、その方の過去・今・未来を肯定する姿勢として届き、つながることに対する認識を変えていくのではないかと考えています。

地理的な理由

心理的な障壁が薄れてきて、誰かとかかわるのも悪くないかな〜と思えてきた頃には、居場所やフリースクールは多いに役に立つでしょう。

それでも、行けない・行かないのはなぜなのか。それはこんな理由です。

・通えるところにそういう場がない
・通えなくはない場所にあるけれど、子どものみでは行けない
・送迎が必要で、そのために仕事を調整しなくてはならない
・職場の理解はあっても、そこまで頻繁に遅刻・早退・欠勤はしにくい
・せっかく仕事を調整したのに子どもが行く気にならないこともあり有給利用の仕方を迷う
・子どもが行く気になった日は居場所がお休みだったりする
・慣れてきた頃に長期休暇に入って、またイチから気持ちを建て直すことになる
・他の子ども達(兄弟・姉妹)の世話や送迎、介護などと重なり、あまり行かせてあげられない

この地理的な理由で行けない子ども達への対応として、送迎サービスをしてみる案を勝手に検討してみたことがあります。

その場合、心理的な理由が確実にクリアでないと利用しにくいことが考えられるため、まずはアウトリーチで信頼できる人を作り、その人を介して居場所とつなげてゆくことで機能しやすくなるのではないかと思います。

平等性に欠けてしまうかもしれませんが一考の価値はあるような気がします。

また、ファミリーサポートセンターの活用もできそうですが、コミュニケーションに慎重になりがちな多感な時期の子ども達なので、やはりつながるまでの丁寧な関わりが求められるでしょう。

毎日のことなので地理的な問題は大きな要素です。やはり通ってる学校と一緒に通いやすい環境を作ってゆくことが誰にとっても負担少なくハッピーな方法ではないかと思うに至ります。

それが難しいから困ってるんですけどね。

時間的な理由


地理的な条件はなんとかなっても、親の仕事や家族構成によってそこの利用が難しくなることがあります。

昼間の時間帯にしかできないことが複数生じるからです。

身体が3つくらい欲しいと感じる保護者さんもいらっしゃるのではないでしょうか。

普段なら、親戚や友人に頼めることも不登校の場合はコミュニケーションが負担になることもあるためそうもいかないので余計にです。

移動と時間短縮のためや、昼休みに帰宅してお子さんの食事や安全確認ができるようにと、不登校をきっかけに転職ら休職された方々を何人か知っています。

でも、そこに至るまでは自分が仕事をしておらず、この子にしっかり付き添えていたらこんなことにはならなかったのでは…。

そういう気持ちを抱いて悩み、ご自身がメンタル不調となられるというお話しも割と耳にします。

疾病など明確にケアが必要であれば、介護休暇なりが取れるようになってはきましたが、不登校の場合はそれも難しかったりする。

そして、複数の立場の責任感で押しつぶされそうになるのでしょう。

日常生活上の役割が減ることはなくむしろ増えますし、その中で、母(父)・職場での役割・妻(夫)・地域の役割などなどいくつもの役割を担いつづけてゆくのは本当に大変なことですよね。

コロナでテレワークが進んだことがひとつの救いにはなっているようですが、それはそれで気分転換がしにくかったりもするでしょうし、時間的な課題を抱える保護者さんがレスパイトできることは子どもへの直接支援と同じくらい大切です。

まだオンラインが普及する前、親の会を休日や夜にオンラインで開催したことで多くの参加者さんとやり取りできた経験があります。

こんな風に時間帯や方法を複合的に組み合わせるコーディネーションがあるとよいですね。

経済的な理由

これは言うまでもなく、フリースクール等に利用料がかかるために通わせにくい家庭があることを指します。

この点は割と周知されつつありますが、私はそこ以外にも目を向けてほしい点があります。

それは、スクールカウンセラー以外で相談を受けた場合のカウンセリング料や、仕事に行けなかったために減ってしまったパート代などです。

もしも、学校に行けない子どものいる家庭に補助を出すならば、当然ながら現金給付にしていただき、上に書いたことにもお金を回せるようになると良いと感じています。

Twitterや友人から聞く情報によると、不登校のカウンセリング。お高いようですね。中長期的に利用することを考えると、金額的なことで先に進めるかどうかのギャップが生まれそうで気になります。

雰囲気的な理由

これは合う合わないの部分です。

組織の大きさや実績で選ぶのではなくて、誰となら一緒に過ごせるのかで選んでほしいと思います。

私も、過去数年間不登校のご家庭と関わって来て、数で実績を表した方が信頼していただけると思うこともあります。

数が多いということは、知恵も豊富だということの証明とも言えますから。

けれども最近は、数ではなくて、どれだけ個々の事例を広い視野で知ろうとできるか、どれだけ心を重ねられるか、そして、そこから伴走者へつなげられるかどうかこそ大切ではないかと思うようになりました。

「支援」として成り立たせることを考えた場合です。これをひとりの人やひとつの組織で全て行うことを求めているわけではありません。

居場所の合う合わないについては、目的が学習であったり、遊びやコミュニケーションであったりとさまざまなニーズと、提供する側と想いとのマッチングの問題なのでしょう。

デリケートさを持つ子どものことを考慮しつつ家庭でコツコツ選別していくことが大変だと聞きます。

そのアクションをマイナスからプラスに戻す作業と思わずに、今をゼロとしてそこから新たな地図を描くような気持ちで動けるようになったらいいのにな。

そして、それを個人の「気持ちの持ちよう」で片付けず、そういう気持ちになれるような関わりを保護者も持てるようにすることが鍵だと思います。

最後に

居場所に行く。行かない。行けない。

これらについて書いてはきましたが、どこかにいくことが善と言いたいわけではありません。

かといって、ずっと家にいて良いとも思いません。

体力の低下や他者と触れ合わないことによる思考の偏りはたしかに心配だからです。

ただ、居場所が増えることや、利用料の補助を出すことはわかりやすい支援ではありますが、その隙間にある課題に手を差し伸べる動きも欲しい。

そこを具体化できないかと思って書いてみました。

4000文字弱のnoteを読んでくださり、本当にありがとうございます。整理するのにとても時間がかかりましたが、ようやく書けました。もしも、より詳しく聞きたい方がいらっしゃいましたらコメントくださると今後の励みになります。

ひとり一人に合った教育環境の実現を目指します。