不登校に必要な「キャリア発達」という考え方
不登校の児童生徒に対して、学校は大概登校するように働きかける。
その理由はこんな感じ。
・勉強が遅れてしまうから
・孤立してしまうから
そのために
・家にいてもできる学習支援を導入する
・オンラインで授業に参加できるようにする
こんなことも進み、救われた子もいると聞いてます。
しかし、この新しい方法の導入時には「学校に行かなくてもいいと思う子どもが増える」と心配した人達もいました。
この考えの根本には、「子どもは怠ける」「子どもは甘える」という考え方があるように思います。
「怠けず甘えず、学校の先生のやり方に沿って素直に学ぶ子」を求めているのでしょうか。
確かに、先生の教えるスタイルが合わなかったとしても、そこまで逸脱しなければ、大多数の子どもは先生のやり方に沿っていけるでしょう。
けれども、その「大多数にとってはオッケーな状況」は、「多数に入れない子が努力不足だ」と示す理由にはなりません。
そうして、良い内申点を取り、偏差値の高い高校に行くことが、子ども達のキャリア発達に直結していたら何もいうことはないのですが、そこがズレていることが問題です。
キャリアとは、就職や労働に限らずに、「その人がその人の能力を活かして生きていくこと」です。
そのためには、勉強も大切ですが、それを継続するためには、安心して人と関われる経験を通じて、自己有用感を育てたりやりがいを感じられる体験が重要だと言われています。
安心して関わりを継続できると感じられないうちに「勉強しないと高校行けなくなっちゃうよ」と言われる時、嫌な気持ちになるのは、「その言葉自体が勉強へのステップを崩壊させてるんだよ」と無意識に感じ取っているのでしょう。
ちなみに、大学入学時に高校生に求められる力は、主体性・論理的思考・課題発見能力だと聞いています。
登校しないことは、確かに様々な経験の機会を損ないますが、体験可能な状態があってこその登校でしょう。
そこに至らない子ども達に接する時、大学側からみて持っていてほしい力や、キャリア発達という考え方を念頭に置いて接したいものです。
学校をスルーしようと勧めているのではありません。
そのようなところから考えてみると、真っ黒に思えた学校の中には多くのリソースがあり、それに支配されるのではなく、自分のために活用するという気持ちも生まれて来る。
学校の先生と話が噛み合うのは、ここからではないでしょうか。
ひとり一人に合った教育環境の実現を目指します。