19歳の小文、さいご。

18歳の僕にしか書けない文があった。19歳の僕がいなくなろうとしている。それが何だろうか?でも、1が2になってしまうことが、何故だか妙にさみしいのだ。

19歳の小文、いち

 何だか急に感傷的な言葉を書けなくなってしまった。比喩を凝らしてみたがどうにも据わりが悪くて消した。

 次の文章を書くことさえおぼつかない。書き残さなければならないことなどない。では、今なぜ言葉を打ち込んでいるのだろうか。

 成長の証として重ねられる年はこれが最後で、これからは一年一年喪失を感じなけらばならないのだとしたら、盛大に祝福すべきこの瞬間に不安を覚えていることが面白く、そのズレを愛撫しながら一時間十分ほど過ごしてみようかと思った。

 先に、少し前につくった短歌を載せておく。これが記録になるのだとすれば。

鋭角に人を隠している街のぼくもちょっとだけ傷つけてみるか

黒い街マスク外して白息をそれはもう正直な愛として

またたたたたたたたたたtttttたんっ鳩を弔いに行こう

 俳句も書いてみた。初めてというわけではないけれど。

着ぶくれて見る東京の硬さかな

レインコート黒く光っている時雨

クリスマス生まれまだ飲めないワイン

冬木立なんともいえないもの巻かれ

 詩を書こうとして一連で止まってしまった。

わたしが二十五歳で死ぬとして
もうすぐベッドに住むのであれば
なめらかにむこうへ行けるように
いつまでもてのひらを握っていてほしい

 むしろ断片のほうがいいのかもしれない。まとまらないとりとめのないままで。

 しかし、悪くない一年だった。十九年も、悪くは、ない。

 もうすこしこのままでいるだろう僕をもうすこしこのままでよろしく

 まあ、これでいいか。またね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?