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改めて自己紹介をさせていただきます。

こんにちは。大江仁です。
しばらくNoteの更新が滞っておりましたが、改めて再開します。
その意味も込めて、僕自身の自己紹介をさせていただければと思います。

僕は生命保険の営業マンであった父と専業主婦の母との間に次男として誕生しました。僕の育ってきた環境は、いわゆる典型的な昭和の核家族。
そして父親はザ・昭和のサラリーマンで「24時間戦えますか」を地で生きているような、生活のほとんどを会社に充てる真面目な会社員で、
昔から言われてきたことは「いい学校に行っていい会社にいくこと」でした。

幼少期の自分にはそんなものの価値など何もわからないけれども
何不自由なく育ててきていただいたので
その生き方をしていけば、生活に困ることはないだろうと漠然と子どもの頃からわかっていた方でした。

子どもの時は内気な子どもで自分から積極的に何かをやるタイプではないのですが、根は真面目なので、学校は皆勤賞でした。
ただ子どもの頃から薄々自分には特に何も才能も持ち合わせていないこともわかっていたので、勉強はとりあえずやっておいた方がいいな、という感じで成績は上位の方に大体いました。
今振り返ると、子どもの割にはどこか冷めているというか
落ち着いた子どもだったのかなと思います。

ただプライドはいつも高い子どもだったので、
とにかく負けるのは嫌だし、負ける戦いはしたくない、、、
思えば、なんて生意気でとっかかりにくい奴なんだって話ですね笑。

一浪して一橋大学に入りましたが
このころくらいから漠然とした不安がありました。
このまま行けばそこそこいい会社に入って、生きていけはする
しかし、それで満足するのかな・・・という思いを抱いていました。
私は父から聞いてきた「いい学校に行っていい会社にいく」というのを今は「昭和の英才教育」と呼んでいますが、その英才教育を受けてきた私には
大学に行って、いい会社に行くという選択肢しか知らなかったし、
そのほかの選択肢はとてもリスキーなんじゃないかという思いもあり、
とても選択しようとは思えませんでした。

JFEスチールに入社して、僕は基本的に働くことは好きなので、仕事も好きで、職場の皆様にも良くしていただき、それなりにうまくやっていたのかなと思います。しかし、このままで自分の望む人生にしていくことができるのか、もっと挑戦できることはあるんじゃないか、もっと自分を成長させることができるんじゃないか、そしてもっと経済的にも豊かになれるんじゃないかという思いは積み重なっていきました。

そんな時に今もお世話になっている経営のメンターと出会い、
自分の人生の方向性は大きく変わっていきました。
元々経営なんて興味もない自分。
チームを作っていくなんてできるのか。
経営ってイーロン・マスク氏とか孫正義氏みたいなとんでもない実力者がやることなんじゃないか。

でも何の巡り合わせか
メンターは普通の銀行員からダブルワークで事業立ち上げをしてきている。
そして結果を作っている。
同じ人間にできないわけはない。
そんな思いから一歩踏み出してきました。

今では法人設立も行い、事業の拡張をしていこうというフェーズですが
今日に至るまで、様々な経験をさせていただき、そして壁を乗り越えてきました。
僕の経験が少しでも生きたらいいなと思い、ブログを書いていこうと思います。

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