【読本メモ】『いつか来る死』を読んで

図書館でたまたま目についた本を読んだので、思ったことをメモ。

自分の周り、関わる人、吸っている空気、見ている景色まで含めてその人だよ。

どきっとする。
納得感がある一文だし、だとすると自分はつまらない人間なのではないか。この断面で”つまらない”のはそこまで気にならないが、長い時間軸で”徐々につまらない”人間になっているのではないかという怖さがある。
この一文から思うに、自分の価値観を研ぎ澄まして、それに正直に生きる日々を積み重ねることが大切なのだろうと思った。

死を考えることで、自分の人生について考えることができる。社会に流されるのでなく、世間の物差しで測るのではなく。

それは実感を持ってそうだと思う。けど、「考える」深さが人によって結構違うだろうな。

在宅見取り、つまり死ぬときにそばにいるということ。その役割は医者ではなく家族であるということ。

改めて自分だったらどうなのだろう。イメージできない。かなりの恐怖を感じるのだろうか。それとも解放感だろうか。何にせよ死にゆく人の気持ちに寄り添う余裕など持てないような気がする。

死は普遍ではなく個別具体。
患者本人が在宅看護、在宅見取りを望んでも、周りの家族がそれをできる状況なのかは分からない。

自分の経験が他人に当てはまることはない。患者の容体や家族間の人間関係や経済状況など多くの変数が存在するから。
何が絶対的な正解ということもない。だからこそ難しい問題。

老衰、それは死ぬべき時がきたから、食べるのも飲むのも必要なくなったということ。

これは自身になかった考え方。というか老衰について考えたことがなかった。周りは癌で死ぬか、老衰だとしても死んだあとにお通夜や葬儀から合流する流れの経験しかないから。
大切な人がこのような状況になったとしてもこの解釈を持てるのであれば、それは大切な人とのいい関係、深い対話を重ねてきたということなのだろう。本にあった「ちゃんと生きてきた人はちゃんと死ねる」ということかな。

自分はどんな状況、場面で人生を終えたいのか?

まだ具体的に考えたことはない。
ただ、家族と一緒にいて、いい人生だったなあと考えることができて、痛くない辛くない状況で眠るように死ぬことがベター。
これは自分だけでなく祖父母や両親とも会話するべき内容。でないと送る側が苦しむことになる。

介護は家族にやってもらわない方がいい。ギブアンドテイクの関係で対価を払うサービスとしてやってもらう。

これは同意。
近くで見る機会があったが、介護は大変な重労働で想像をはるかに超えていた。
「在宅がいい」ということは、家族でいい時間を過ごしたいということだと思う。だとすれば介護はアウトソースして、どこに時間を使うのかはよく考えるべきだ。

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