10.Make Me the Light
数年前のある日いつも通りアメリカ人で同い年、親友のクラレンスが行きつけの店に飲みに来いよと連絡をよこしてきた。
「今日は歩幸(僕の名前)、とっておきの俺のベストフレンドが来てるんだ。特別な日だ。」と言うので23:00頃その店に向かうと、クラレンスともう1人見慣れない外国人がいた。
ハリウッド映画に出ているんじゃないかと思うほどに端正な顔立ちで、おまけに背が高い。
彼は丁寧に「ジェシースライガー、よろしく。今はオーストラリアでアーティストとプロデューサーをやっている。」と男でも惚れてしまいそうなほどの笑顔で言った。
ジェシーもまた同い年だった。
彼曰く、旅行で日本に来ていてアメリカで同郷のクラレンスがそれを知り日本で合流したらしい。
僕もそうだが、こういう特別な日は楽しいお酒が随分と進む。
朝の6時ごろまでその日はとめどなくロングランドアイスティーを皆で飲んだ。
クラレンスが、せっかくだから俺のアメリカのミュージシャン友達とPortoneonで何かそのうちやりなよとしきりに言っていた。
そこから記憶が正しければ2〜3日毎日そこで同じように杯を交わした。
突然ジェシーが店のアコースティックギターを手に取って、これが俺の曲なんだと1曲弾き語りを披露してくれた。
幼少期から親の影響で洋楽にどっぷりだった僕にとって、それはたまらない時間だった。
「いつかはジャパンツアーをやりたいんだ。これが夢だ。」とギターを片付けながらふとそんなことを彼が口にした。
お酒の勢いもあってか僕が「いいじゃん、来年来なよ。僕がそのツアー組むよ。」と返すと、ジェシーは額に両手を押さえながら「おい、聞いたかクラレンス!歩幸が俺のステージを日本で用意してくれるってよ!約束だ。こうなったらすぐにオーストラリアに戻ってアルバム制作しなきゃいけねえよ!」と酒を飲み干して大はしゃぎで言った。
そこから彼はオーストラリアに戻り、たまに連絡を取り合う仲にまでなった。
もちろんジャパンツアーをやるためだ。
翌年、しっかりと最高のアルバムを引き下げてワールドツアーの一環として大阪で3日間と東京で2日間僕が通訳として入りながらジャパンツアーをライブハウスで行った。
各地で僕が大好きなミュージシャン仲間に会わせた。ライブをして皆で歌いながら打ち上げでお酒を飲んだ。
大阪のツアーの合間に、「技術も人間性も世界に通用するレベルのやばいドラマーがうちで叩いてくれてるんだけど会ってくれよ。」と言って友さんと3人で飲んだ。
鉄板系の店で、世界の音楽について話し込んだ。
何がすごいって音楽というテーマがあれば、言語の壁は本当にない。
ジェシーは日本語がほぼ分からないが、通訳をしなくても目と手の動きとほんの少しの英語で共鳴していた。
そんな素晴らしいジャパンツアーが終わってからPortoneonの新しい曲の制作に取り掛かっていた時に、この大きな躍動感を失わないまま今できる最大限ワールドワイドな楽曲を作ってみたいと思った。
ディズニーのパレードのようにフィナーレに向けて大きな花火が打ち上がっていくような、美女と野獣のように壮大な、そんな楽曲を作りたいと着手し始めた。
「Make Me the Light」
neonかなが光になって、世界中で起こる人種差別やアイデンティティの確立の助けになるようなそんな曲にしたかった。
つまりMeはneonかなだ。
そこに壮大なオーケストラと合唱隊、そしてゲストボーカルにジェシーを呼んで英詞で歌ってもらう。
鍵盤でアレンジャーのhecoに分厚いオーケストレーションと声のハーモーニーで包み込むようなサウンドアレンジにしてほしいと頼むと、あのアレンジで返ってきた。
完全に天才。理想のはるか何倍も超えて応えてくれた。
すぐにジェシーに連絡を取り、日本とオーストラリアで共作の楽曲を作ろうと提案した。
彼は「日本語は歌えないけどオッケーかい?」とジョークを交えながら乗り気になってくれた。
制作には半年を要した。
色々大人の事情もあって歌詞やらなんやらを丸っと5回は書き直した。
メロディーラインやテーマもポップスのPortoneonというよりは、かなり深い部分に潜り込んで少し異色かもしれない。
日本ではありえないが世界には未だ、人種差別などに苦しむ人間が数多くいる。
彼らは例えば授業中に手をあげるだけで馬鹿にされる。
ヨーロッパにいた頃、そんな光景を何度も見た。未だ根強い差別意識は地球のどこかで今日もある。
吐き気がするほどくだらない。
なんなら黒人差別を受けて、家族も苦しい思いをしていた僕のアフリカはアンゴラの友達マウロは運動神経・記憶力などずば抜けていて優秀だった。
白人も黒人もたくさん世界中に友人がいるけれど、僕の友人たちは皆あまりにも素晴らしい。
肌の色なんて気にしたことは一度もない。
最後のサビをよく聴くとジェシーが「Hooー!」と叫んでいる。
あれはデモを送ってオーストラリアで歌入れしてもらっている段階で彼からメールが来て、「おい待てよ。最高にクレイジーすぎて叫んじまったよ!」と自然に入っている彼の声をそのまま採用している。
Portoneonとして作りたい作品には「不在票配達員」や「幽霊になった君とまたキスをする」などのポップス作品がある。
ただ、僕の人生観で得た価値観を白紙の上にさまざまな色で塗りつぶしていくかのように吐露した作品を今作では最後の曲に収録させてもらった。
もしかしたら、歌詞がかなり難しいかもしれない。でもよかったら目を瞑って聴いてほしい。
音楽というものが産声を上げた本来の理由の片鱗が、あなたのまぶたの裏に映ればあまりにも幸せなことだ。
これにてアルバム「COOL BEAUTY」は完成である。
10日間ありがとうございました。
また次は違うテーマで何か書ければなと思っています。
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