公教育のスクラップ&ビルド時代の到来

堀内孜先生を悼んだ現代学校研究論集への寄稿より転載(一部改変)

 令和は、公教育をスクラップ&ビルドする時代となるだろう。
 PISA2018で長文ブログを速読する問題が問われるなど、学習内容のアウトプット方法(問い方や答え方)を変化させる必要に迫られており、(PISA2022での躍進は喜ばしいことではあるが)現行の学習指導要領や教科書、入試問題なども複雑化・高難易度化が急速に進んできた。そんな折にCOVID-19が発生し、その影響でGIGAスクール構想は加速し、教育現場は一気に変革の流れの中に放り出されることとなった。
 もともと個に応じた指導を重視する流れにあった学校教育にタブレットPCが導入されたことで、その流れはさらに大きく加速する。最大40人を擁する一斉授業では限界のあった教育現場に、個別最適化実現のための具体的手段が生まれたのである。
 堀内研究室では、以前から「箱に40人を詰め込んで一斉授業を行う授業の質の”平均点"の高さこそが日本型公教育のストロングポイントだ」と指摘しており、そのシステムの中で個に応じた指導をしようとするのがそもそも前提として間違っていたわけだが、GIGAスクール構想の実現で教室という学び舎は文字通り時間と空間を超えることができるようになった。現場の工夫だけでは打ち破れなかった箱の壁が壊されたのだ。ここから公教育のスクラップ&ビルドが一気に動き出すのは論をまたない。問題は、その変化が現場教員にも文科省にも学習者自身にも予測不可能であることだ。まさにVUCA時代である。
 ここではそういった変動的な状況において、起こり得る変化をできる限り幅広く未来予測し検証してみたい。
 学校現場においては、教師が一方的に話し続けるチョーク&トークの授業から、タブレットを活用した自由進度学習への移行が加速するだろう。これまでも反転授業や協同学習においては教師の話す時間を(例えば15分以内に)おさえて、児童・生徒が活動する時間を確保すべきだと指摘されていたが、タブレットによる自律学習の精度の向上により学習従事率(エンゲージメント)が向上し、学習の質も担保されるようになるだろう。
 だが、その融通の利く状況が公教育を揺るがすことになる。
 漢字や計算や英単語を前の学年にまで遡って学習できる一方で、ネット上から情報収集したり、学習アプリやAIによる学習管理をしたりすることで、学年を超えた先取り学習さえ可能となった。これは個別最適化の理想形であるとともに、学校の存在意義を揺るがすものでもある。学校という箱の中にいなくても学習できるからだ。リモート学習やタブレット学習はCOVID下において学習機会を担保する役割を大いに果たしたが、それが皮肉にも登校する必要を感じなくさせる副作用をも発揮してしまった。これは現在の不登校増加の一因といえるだろう。

 また休校期間の授業ストップに対して危機感を抱いた家庭も、独自に自宅学習の道を模索し始める。家庭学習法を提案した書籍のヒットや、学年を超えて学べる学習教材へのニーズの高まりが、それを証明している。在庫切れを起こした書籍も多いという。学習の軸が、学校から家庭へと移行しているのだ。
 例えば、ゴールデンウィークまでに当該学年の漢字学習を終わらせる隂山メソッドは、もともと学校に導入される指導法であったが、今では家庭において学校に先立って漢字学習を終わらせ、学校での授業を楽にするという逆転現象が起きている。
 ただし学校外への学習の移行は、前向きな意味も持つ。たとえばGoogleクラスルームのストリーム上に教師が授業計画を表示したり、事前に視聴しておくべき視聴覚教材(へのリンク)をアップしたりする授業スタイルが定着し始めている。これは従来の予習・復習の枠組みを超えて、本当の意味で家庭学習を巻き込んだ学習形態が成立したことを指す。事前に関連教材の視聴を終えておく反転学習や、休み時間を利用した授業準備と振り返りが常態化したのだ。ICT化によって学習が時間と空間を超えるのだから、これは至極当然の変化であり早晩、「宿題」という概念は崩れ去るだろう。もともと自宅という宿に帰らないと予習・復習ができないわけではなかったはずだが、タブレットの導入によって時と場所を選ばず、オンデマンドに学習できるようになったのだ。
 また、欠席時や帰宅後のような学校にいないタイミングでも、学級担任や授業担当がオンライン上に示した授業計画や提出課題を児童・生徒が確認し、場合によってはオンライン提出をする。前述のように、学校でなくとも学習が成立するわけで、「学校」と「家庭」で分ける必要はなくなってゆく。学習を、場所や時間帯で区別する必要がなくなり、よりゆったりとした大きな流れの中で学習が構成されてゆく。
 これは令和時代に国が目指す教育の方向性でもある一方で、この流れが学校という箱に因われてきた公教育を根本から揺るがすことにもなる。6・3・3・4制を超えたフレームワークを持つ小中一貫校や中等学校の増加もこの流れを後押しするだろうし、それが加速した先には校内飛び級的な学習形態も現れることだろう。
 必要に応じて小学校にまで戻って漢字や計算を学び直すことができる一方で、どんどん自学を進めて小学校の段階で上の級の英検や漢検を取得する子どもも増えるはずだ。国は個別最適な学びを推奨しているわけだから、教科書を超えた先取り学習を禁止する理由も縛りもないはずだ。そして、それを家庭も期待し、学校も推奨することになるだろう。そこにおける教師の役割は、すでに指導者ではなく学習のファシリテータとしての機能である。
 現状、AIによるサジェスト(学習ファシリテート)機能はまだまだ不十分で、ChatGPTの情報の正確性についても精度が高いとはいえない。しかし、これらの機能は急速に改善されていくことは間違いなく、もしAIが学習ファシリテートの機能までカバーできるようになったとき、はたして教師は教壇に立ち続けることができるだろうか。
 公教育のスクラップ&ビルドは加速こそすれ、鈍化することはない。いまこそ公教育経営のあり方を大いに議論し、フレームワークの捉えなおしを検討すべきときである。研究者にしろ、現場の教職員にしろ、堀内研究室出身者の果たすべき役割は、今まさに最大化されているといえるだろう。

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