碧の王

その瞳は、ちいさな碧色の乱反射をいつまでも捕らえ続けていた。
「ジル?前を見て歩いてね?さっきより地面が固いとはいっても、根が這っていて危ないのは変わりないのだから」
キティの言葉にも、小さく「ああ」とだけ返して、ジルは心奪われたまま歩き続けた。
碧の輝きは幾重にも絡み合い、ちいさな石の中で何百何千と増幅していく。その輝きの一つを追っていくと、さらにそれがまた幾つかに割れ、果てしなく碧色の煌めきとなって、やがて全てが混ざり合う。
「なんて、美しいんだ」
気付けば、ジルはそればかり繰り返していた。
転倒こそしないものの、ジルは小枝や樹々の端々で隊服を傷付けていた。外傷にはならないが、バックパックにさえ傷が目立ち、採取した動植物への影響が懸念される。
「ジル!!」
先程とは違う大きな声に、思わずジルはハッとした。
前を見ると、巨大なぶよぶよとした青紫色の物体があった。よく聞けば、フゴフゴと寝息を立てている。
「ジル、ゆっくりこっちに戻って来い…」
「ギガントードだわ。あまり害は無い生き物だけど、あれだけ大きいとさすがに、ね……」
キティの解説する声色から、出来れば気付かれずに去りたいという気持ちが伝わってくる。確かに、動きはノロそうだか、サイズがかなり大きい。配色を間違えたトランポリンみたいなコイツが追いかけてくるなんて、はっきり言って悪夢でしかない。
「……すまない」
「いいから!早く、こっちに!」
小声で叫びながら、ジルの手を引っ張った。そのままさっと飛び退いてから、もう一度冷静な目でギガントードを見る。
「……なんだ、ノロマなガマガエルだったのか」
ジルの呟きを聞いて、キティが激昂した。
「ちょっと!ジル、あなたは何を言ってるの?ボーッと歩いて、ぶつかりそうになって。あれがギガントードじゃなくて、毒胞子や幻覚穴だったらどうする気だったの?!」
「……す、すまない」
キティのあまりの剣幕に、ジルは少し引き気味に謝った。
だがしかし、何故だろう。歩きながらボーッとするだなんて、おそらく初めてだ。
「…大丈夫か?」
ローが肩に手を置きながら、気を掛けてくれた。
「ああ、すまない。ちょっと、なんだかわからないが、意識が飛んでしまってたみたいだ」
「大丈夫?本当に、知らない内に幻想キノコとか食べてないわよね?」
冗談か本気かわからない口調で、キティが言う。
「いや、あるいは、そうなのかもな」
そう言うと、またジルは歩き始めた。
その様子を不安そうに見つめる二人の足元で、エメラルドが小さくキラリと輝いた。
「……確かに、だが、おかしかったな」
ジルは歩きながら、自分の奇行を少し振り返ってみた。
拾ったエメラルドの欠片を見つめていたら、何かこう、その中に心をすべて持っていかれているような感覚を覚えた。
あれは一体、なんだったんだろうか。
キティが言うように、知らずの内に何か幻覚作用のある霧や煙を摂取してしまったのだろうか。あるいは針先から幻覚症状を引き起こす昆虫類に刺されていて、知らぬ間にそれに捕われていたのか。
考えてはみたが、ロクな思考に辿り着かず、ジルはそのうち考えることをやめた。
「まあ、考えたって仕方ない。気を付けて、先を急ごう」
向き直って、前に進む。その姿に、後方の二人も少し安心したようだった。
森をさらに抜け、一行は少し開けた場所へ出た。
樹々が密集したその場所は、ちいさなドームのようになっていた。だが他の場所とは違い、ぼんやりと明るい。
「あれだ、キティ。見てくれよ」
感嘆とも取れるような声で、ローが天を仰ぎながら指差した。
見上げると、幾重にも絡まり合った樹々の隙間に、煌々と輝く碧の太陽が見えた。
「な、なにあれ。あんな巨大なエメラルド、見たことないわ……」
まるで樹々の根に護られるかのように、そのエメラルドはあった。さながら玉座に腰掛けた王のように、碧色の巨大な塊は彼らを見下ろしていた。
「あれ、ちょっと持って帰るには、騎士団の全面協力がいるな」
ローが笑いながら言ったが、そのとき既に、ジルの心はそこに無かった。
『…ツ……、……ツワ………』
「え?」
振り返り、ジルは聞き返した。
瞬間、頭上から眩いばかりの碧が降り注いだ。
『……ワ、…キタ……。ウ…、ウツワ……』

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