碧翠の弓矢

張り裂けそうな胸の内を碧色の光に変えて、彼の身体は空を疾り抜けていく。
誰も彼も、おそらく吹き抜けた風ですら彼の姿には気付けない。音速を越える脅威的なスピードで、彼は一点を目指して飛び去っていく。
グラベル大聖堂、その堅固な門の僅かな隙間を煌めく光の矢が擦り抜けていった。門番は後を追う風に少し首を傾げたが、何も気付けるはずなど無かった。
碧翠に輝く矢は大聖堂の中を雷の如く疾り抜け、館長室の扉を激しく撃ち砕いて入り込んだ。
「な!何事だ?誰だ!?」
慌てたペイジ館長は、声を荒げて扉の方を振り返った。そして、絶句した。
怒りの雷撃を身体中に纏いながら、彼は全てを射抜く鋭い眼差しをペイジに向けていた。その眼からは激しい怒りと、その奥に葛藤に苦しむ揺らぎが見えた。
「……ジル、か」
「先生、質問があります。ボクを害悪だと、この魔力を認めないと降したのは、貴方だと聞きました。それは、本当ですか?」
冷静に努めて吐き出した言葉は、震えていた。怒りからか、哀しみからか。それはジル本人にすら、わからなかった。
「……本当だ」
ペイジは長い沈黙も置かず、答えた。
その一言で、ジルの顔から完全に表情が消え去った。
「ジル、良いか。凄まじい力を手にして、舞い上がる気持ちはわかる。だが、その力と引き換えにお前は失う物が多過ぎるし大き過ぎるのだ。死んでしまった隊員たちの生命も、お前を支えてくれる友や人々、果てはあんなに優しかったお前自身すら失くしてしまうだろう。まだ、間に合う。今ならーー」
優しく悟すように語り掛けていたペイジの声が、不意にぴたりと止まった。
大きな音を立てて開いた扉からは、ローとキティ、何人かの護衛兵団が顔を覗かせた。

そして、次の瞬間すべてが止まった。

碧色に輝く巨大な矢に心の臓を貫かれ、ペイジは息絶えていた。それはあまりに巨大で、雷を纏う槍のようにも見えた。
「あ……、と、とう…さ……」
父親の死を前に、ローは激昂した。
両の目に滲み出した涙が溢れるより早く、彼は叫びながらジルに目掛けて飛び掛かっていた。
泣き叫びながら繰り出される拳がジルの顔を殴り続け、辺りに血が飛び散る。親友に対しての、おそらく初めて吐き出す怒りだった。事の真偽の確認や、言葉による問い詰めも出来たはずだった。だがローは感情の刃をどうしても納められず、ただ怒りに任せた拳を彼に向かって浴びせ続けた。
「や、やめて…」
キティが涙声で縋ったが、それはどちらにも届かなかった。
ジルはしばらく殴られるがままになっていたが、唐突にローの拳が宙に縛り付けられるように止められた。彼は全力で抗ったが、腕を捉えた碧色の輪がそれを許さない。
「うおおおおお!ジル!ふざけるなあ!」
バタバタと足掻くローから一歩遠去かり、ジルは答えた。
「……それはボクの台詞だよ。拳がダメなら、次は暴言か。まったく、キミらしいな」
「うるさい!!父を!俺の父親を殺さなければならない理由が、どこにあった!答えろ!答えろ、ジル!!」
怒りに怒鳴り散らすローに冷たい目を向けながら、ジルは指先を軽く鳴らした。足元から広がった優しい碧色の輝きが彼の身体を包み込み、ローが殴り付けた傷は全て綺麗に消え去った。
「な……」
「さすがに痛かったよ。だけど、まあ、父親の仇だからね。ちょっとだけ、我慢したんだ」
そう言うと、ジルは寂しそうに微笑んだ。
「ロー、先生が、父さんがボクを害悪だって。本当だった、本当だったんだ。なあ、どうしたら良かった?魔力を吸われて、また死んだように生きれば良かったか?それとも、逃げ出す?なあ、ボクは、どうしたらーー」

ズバンッ!

まだ言葉を探している途中だった彼の身体を、魔弾が貫いた。後方、扉で待機していた護衛兵団の一人が彼を射抜いた。
「ロック隊長!危険です、下がってください!」
だが叫んだ彼も含め、護衛兵団は全員その声を最期に消え去った。
碧色の激しい光が、彼らを影も残さず飲み込んだ。
「……ボクがローと話してるんだ、邪魔するなよ」
低く呟いて、また彼はローを見た。
魔弾に射抜かれたはずの彼の身体には、もちろん穴が空いていた。だが身体に空いた風穴は碧色の光を放ちながら、みるみる塞がっていく。
怒りに荒れ狂っていたローも、さすがに我に返っていた。残されたキティもまた、言葉の見つからないまま指一つ動かせずにいた。
「……邪魔だな、みんな」
呟きながら窓の外を見て、ジルはまた冷たい目をした。
「ロー、キミとキティが出逢った場所に行こうか。あの研究棟へ向かう、緑豊かな散歩道。あそこで待つよ。キミと、もしも来れるならキティ。二人だけで来て欲しい。……約束だよ、待ってるから」
そう言うと、ジルは碧翠の弓矢となって窓を破り飛び出して行った。

ガシャァァン!!

その激しい破壊音に、二人はなんとか正気を取り戻した。
「……と、父さん」
掠れた声で、ローが呟いた。縋り付いた父親の身体には既に生気は無く、貫かれた形のままだらりと碧色の光にぶら下がっていた。
血に塗れた手で、その身体に触れる。碧色の矢はパッと形を失い、まるで小さな花火のように一瞬で消え去った。
父親の身体は、そのまま息子の手に降りてきた。
「……こ、こんな、クソっ!ジル、信じない!信じないぞ、ジル!許さない!!」
泣きながら父の亡骸を抱き締め、ローは力の限り叫んだ。
その様子を哀しい眼で眺めながら、キティはそっと自身の中で悲劇的な決意を固めていた。
「ロー、行こう。彼のところに……」
優しい声で、キティはローを呼ぶ。ぴたりと叫び声を止めて、ゆっくりローは彼女に向き直った。
哀しみと憐れみを混ぜ合わせたような、複雑な表情のまま彼女は力無く微笑んだ。
「行こう。ジルを止められるのは、たぶん、私たちだけだよ」

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