竜を見た少年

海原は広く、偉大で広大だ。
水を泳げば魚や貝、たくさんの生命に触れられる。そこから食糧・調味料・飲料水から様々に用途のある材料まで、とにかく必要なものはほとんど揃う。

だから、彼は海から離れた事など無かった。

海の恵みがあれば、特別他に何か求めるものも無い。平凡ながらに満ち足りた生活に、少年は何の不満も疑問も抱かなかった。
ヒトの話には尾びれ背びれが付いて回る。そのこともよく知っていたから、噂話にもあまり心躍りはしなかった。

そんな少年の心の片隅に残り続け、彼を外の世界へと誘うモノが一つだけあった。

夏の夜の一番長く空が暗くなる日に、少年は珍しく散歩に出掛けたことがあった。
理由は特に無い。夏の夜が寝苦しかったからとか、月が随分と綺麗に見えたからとか、後付け出来る程度のほんの気紛れだった。

水平線と枯れた木しか見えない砂浜で、少年は月を見ていた。
散りばめられた星々に、海原が月の光を跳ね返して空は信じられないくらいに明るく感じられた。

ーーふと、見上げた空の片隅に光る線が見えた。

最初は流星の尾だと思ったから、少年も特に気には留めなかった。

だがそれは落ちる事なく方向を変え、まるで天を泳ぐかのように星の隙間を縫って月に向かい始めた。

「ーー竜だ」

少年の目には、はっきりとそう見えた。真実かどうか確かめる事は誰にも出来ないが、彼の心には紛れも無い現実として刻まれる事となった。

誰に話してもどんな文献を紐解いても、竜の逸話も伝説も、御伽噺の類すら見当たらなかった。

だがそれが彼の心をより堅固にし、旅立ちの決意は時を経るごとに強くなっていった。

そして時は流れ、少年はとうとう十五歳にまで成長した。

少年の名はドラーゴ・オ・アクスィア。
海の向こうを夢見る少年の旅が、いま始まる。

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