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いざ直島町27の島々へ

2024年7月2日/直島リサーチ2日目
午後は船をチャーターして、いよいよ直島町を構成する27の島々を見に行くことになった。川村さんとアシスタントの愛里さん、ポーラスメンバー、直島の仲間たちと一緒にいざ出発。

案内をしてくれた岡山の船会社さん。安心感。
宇野を出て今日は西側を通った

今回のクルージングの前に、ポーラスメンバーはヨットで直島諸島の下見をしていた。前回のコースが右側部分。今回のコースが左側の赤いラインのところ。これでぐるっと直島諸島を全部周れた。先日紹介した「直島町史」と島の郷土史家三宅勝太郎さんが著した「直島の地名その由来」を読むとそれぞれの島の名前や地名の由来も載っているので、クルージング前に読んでおくと島の形や様子を一層楽しめる。海図もあるとなおよし。例えば、ハタゴ島という少し変わった名前の島は5つほどの小さな石の島なんだけど、「旅籠」かと思ったら「端五」、端っこにある5つの島という事で漁師さんたちが海上の目印として使っていたことからついているそう。屏風島は崇徳上皇が海上遊覧をしたときに風も波も穏やかだったので「屏風で囲まれたような場所だ」といったの始まりだとか。直島本島もかつては「加茂女島(鴎島)」と呼ばれていたときもあり、今の名前に定着するまでいくつかの変遷があるようだ。

柔らかい花崗岩で出来た島々は波や風に浸食を受けやすい
喜兵衛島の海岸線を散策

屏風島と喜兵衛島

最初に大き目の船でも着岸できる屏風島に連れて行ってもらった。ここは直島町の中で3つある有人島の一つだ。定期航路はないので、島民のみなさんは自家用船で移動している。郵便配達も船で行われているそうだ。直島町の郵便局員になったら船舶免許が必要になるんだろうか。そこから屏風島から歩いて渡れる喜兵衛島へ移動した。

洞穴がたくさんあってどれも遺跡みたいに見える
?!

喜兵衛島は縄文土器の欠片などが海岸で見つかることがある。確かに海辺で見るような石とは異なるさまざまな色や形の断片が浜辺に打ちあがっている(ように見える)。「土器片じゃなくて実は蛸漁の素焼きの壺の欠片なのでは」などと話しつつ、何万年間も変わらずにある海辺の景色や波音に耳を澄ませてみた。人気のない浜辺は本当に静かで美しかったです。
※土器の欠片は文化財の為持ち帰りはできません。

遺跡?

その後、神事に使ったと思われる土器がたくさん見つかっているという荒神島側から直島をぐるりと周遊した。

海上から見る直島のアート作品


海の上から直島のアート作品が見られるのも、普段は出来ない貴重な体験だった。

杉本博司さんの「タイム・エクスポーズド」シリーズ
蔡國強さんの「文化大混浴」

蔡國強さんの「文化大混浴」は、風水にもとずいて中国の奇岩が配置されていて、岩の間を流れた気が直島の龍脈につながっている。その流れもよく感じられた。何だか龍の顔や手足、尻尾までよく見える気がした。

火つかずの灯篭!

そして、先日もご紹介した直島の少し怖い伝説「火つかずの灯篭」もちゃんと現物を見られた。現実に目の前にあるものが、物語というある種のファンタジーになることで普遍的な価値や感覚として新しい姿を持ち、もう一度自分たちのもとにやってくる。地域のフィールドワークは、その土地の持つふくらみのようなものをダイレクトで感じられるのがが醍醐味だなと思う。その後、直島の向いにある、その名も向島へ上陸。周辺を少し散策して、神社へ参拝。本日の直島諸島クルージングは終了です。私が普段住んでいる小豆島にも沖合に小島などがありますが、直島諸島はそれよりもグッと近い距離に27の島々が迫っているので、島と島の間から見える景色が美しく変化していくのが印象的だった。また何度でも行ってみたい。