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直島のさっちゃんとはっちゃん

2024年7月2日/直島リサーチ2日目
今日の午前中は、直島で衣料品店を20年以上営んでいたはっちゃんと今も畑で野菜作りを続けているさっちゃん、仲良し2人組のおばあちゃんに島のこと、ご自身のことなどいろいろとお話を伺った。

島の風景のこと


「アートの島」として有名な直島だけど、まだ美術施設やホテルがない頃は、琴弾地(ごたんじ)の海岸側には民宿や民家がいっぱい建っていたそうだ。この辺りには、はっちゃんの家の田んぼがあって、田植えの時期は親戚が7-8人、何軒かで寄り合って協力して各家の田んぼの田植えをしたらしい。海岸沿いのホテルがあるところには、「立体塩田」があって、下から海水を汲み上げて、笹に海水を伝わせることで塩分を濃縮して塩を作っていたそうだ。今は塩田があった場所にホテルや美術館が建ち、世話をする人がいなくなった田畑は藪になり、2人が潮干狩りをした浜辺は埋め立てられている。2人から見える島の風景はずいぶんと変わったらしい。

はっちゃんが二十歳の頃の田植え
いま地中美術館があるところにあった塩田!

はっちゃんのお店

島で衣料品店を営んでいたはっちゃんのところには、たくさんの人が服を買いに来ていたらしい。さっちゃん曰く、みんなで旅行に行く時は「はっちゃん、なんか綺麗な服はないー?」って言って、はっちゃんのところへ走っていったんだとか。でもみんなで行く旅行で服が被るといけないから大変なんだよ、とはっちゃんは笑った。「あの人にはこんな服が似合う」「さっちゃにはこの服」とみんなが似合う服を見極めていたから、高松の大きなお店に行くより、はっちゃんのお店で買う方がよかったと言うさっちゃん。当時は島内に人も多かったし、1家族の人数も多かったから、嫁入り道具やこたつ布団、学生服などいろんな物を扱っていたそうだ。島の人の服をトータルコーディネートをしているなんてすごい。商いと人に対する愛情深さを感じる。

いろんな写真や本、寒天菓子やクッキーを用意して待っていてくれました。

島で獲れた食べ物


5月頃になると、海を見たらたくさんのベイカがいた。産卵のために港の方へ集まって来ていたらしい。だから、風がよく吹いた日に浜へ行くと生きているベイカが打ちあがっていた。指でイカの吸盤を触ってみて、足が引っつくんだったら新鮮な証拠。食べても問題ない。

イイダコは曼殊沙華の球根を付けた手作りのかぎ針のような物を使って釣る。昔は畑や田んぼの畔が真っ赤になるほど曼殊沙華がたくさん生えていたから、掘り起こしておいて釣りに使ったそうだ。たくさん連れたら軒に干して、それを薄く切って焼いて、砂糖醤油につけたりして食べるんだって。美味しそう。他にも食べ方は色々あるけど、都会から転勤してきた人に干したイイダコをあげたら炊いて食べて固かったと言われたことがあるといっていた。食べ方を知らなかったらしい。今はスーパーで魚が帰るけど、昔は漁師の奥さんが車を曳いて売りに来てくれたそうだ。

直島の対岸にあるという通称「たぬき島」では、大きなボテ貝という貝が採れたそうだ。それから大きなフグをたくさん獲って、フグの肝を沸かして炊き詰めたら油の代わりになるというのも教えてもらった。それで野菜の天ぷらを作ったそうだ。その他にも食べられる野草や果実のことも教えてもらった。でも、イイダコもベイカもボテ貝も今はいなくなってしまったらしい。みんなどこへ行ったんだろう。

影絵を2人に見てもらう亘平斎さん

午前中いっぱいかけて、小学校のこと、2人のご両親や嫁入りのときのエピソード、戦時中のこと、お孫さん達のことなどたっぷりお話を伺うことができた。どれもこれも物語に出来そうなお話しばっかりでこの場に書き尽くせないのが残念です。笑

今は見ることのできない風景、暮らしの中に生きていた2人の姿を私たちも少しだけど追体験することができました。最後に、2人が「私らはどんな生活でもできる。 今の子供はもうできんと思うよ。私たちは何でも食べられるし見つけられるからね」と誇らし気に笑っていのが印象的だった。

さて、どんな影絵物語が出来上がっていくんでしょうか。