画像1

すきな人のすきなものはきらい

『義妹ホールと妹ホールド』より 作曲:madetake
00:00 | 00:00

※試聴版。オリジナル版(03:47)は購入後に視聴可能。

故郷は離れなければ生まれない。

 ふるさとと読むよりはコキョウと読むほうが好みだ。
 ふるさとというと、苔と木材と石畳が思い浮かぶ。湿っていて親しみがある。ウェルカムな旅情すら感じる。
 一方、コキョウというと何だかよくわからない、人によって全然違う個別の場所という気がする。そこは自分だけの場所だ。

 故郷を作ろうとして作るような人もいるのかもしれないが、だいたいの人にとって故郷はいつの間にか故郷になっていたというものだろう。離れてから数年経って初めてわかる。昔自分がいたあの場所のことを故郷というのかもしれないと。

 いまつらい思いをしているのなら、その場所から離れてしまうのがいいと思う。都会に住んでいても田舎に住んでいても郊外に住んでいても誰と住んでいてもひとりでも、みじめな気持ちになってしまうことはある。みじめさからはまず物理的な距離を置くのが一番良い。無理はしないで。

 そうして離れてみて数年経って、あの場所が故郷になった。それはまあいい。だがそれに加えて、そこに伴っていた感情、つらさやみじめさも故郷になってしまうことがある。

 故郷は離れるとどうしても生まれてしまうものだから。

 離れてこそ生まれるものなので「あのときのつらさのおかげで今の私がある」という風につらさを故郷にしている人は、今はそれほどつらくないのだろう、と思われる。
 だが「あのときのつらさのおかげで」と語る人は何か別のつらさを抱え始めてもいそうである。離れたはずなのに。

 故郷は離れることで生まれるが、故郷になることで消えなくもなる。

 あのときのつらさを故郷にしてしまったら、もう一生あのときのつらさは忘れられない。

 そんなつらい思いをしながらよく生きてこれた。
 いずれお前の故郷になるかもしれないこのつらさは、おまえの場所だ。
 しかし今はわたしの場所だ。
 うばいかえせばよい。
 ……できるものなら。

ここから先は

¥ 300

続けられるかわかりませんが過去作の曲の単品販売に使おうかなと思ってます