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何本プレイすれば「趣味:ノベルゲー」といえるのか

ノベルゲーを趣味と言って良いラインはどこからか?
これについて結論から先に述べておくと、

プレイ本数は関係ない

が私の意見です。
大事なことは2つ。

1.プレイしたことのない作品を見つけようとする意欲があること
2.自分が影響をうけた作品、衝撃的だった作品を大事にすること


【プレイしたことのない作品を見つけようとする意欲があること】

2015年、私は1度ノベルゲーを引退しました。
それまで300本以上の作品をプレイしてきましたが、
ある日を境に心がポッキリ折れてしまったことを覚えています。
熱が冷めると、それまで積極的に追っていたメーカーやクリエイターさんの情報を追わなくなり、それが7年近く続きました。

過去にどれだけたくさんの作品をプレイしていたとしても、
新しい情報を求める意欲がないと、趣味ノベルゲー「だった」人です。
別にそれは悪いことではありません。

世の中には映画やドラマ、アニメなど魅力的な娯楽が山ほどあります。
そちらに興味が移るのは自然なことで、1つの趣味だけをずっと続けている人のほうが珍しいと思います。

ただ、7年間ノベルゲーをほとんど遊んでいない300本プレイ済みの人と、
ここ1年間で自分がプレイしたことのない作品(新作・旧作問わず)を10本クリアしている人を比べたとき「趣味:ノベルゲー」といえるのは、
10本クリアしている後者の方というのが私の経験からくる感想です。


【自分が影響をうけた作品、衝撃的だった作品を大事にすること】

「300本以上もプレイされて凄いですね」とお褒めの言葉をいただくことがありますが、こういうやり取りをする度に心苦しい気持ちになります。
正直に言って300本全部きちんと内容を記憶しているわけではないし、
断片的なシーンを思い出して、あのとき味わった感動の残り香で喋っているだけなのです。
プレイ直後で細かなシーンまで全部覚えている人と語るのは気が引けます。

ただ、自分のなかで間違いなく言えるのは、プレイした300本以上の作品で今のノベルゲー観を形作った土台となるものがいくつか存在することです。
私の場合、自覚している作品はエロゲー批評空間で100点をつけています。

これを読んでいただいている皆様も、ノベルゲーを続けている方はおそらく衝撃的な作品との出会いがあったから今でもプレイされていると思います。
ノベルゲーの最高に興奮できる形の1つなんだという、明確なヴィジョンを見せてくれる作品は、なかなか出会えるものではありません。

大事なのはプレイ本数という機械的な数字のカウントではなく、自分にとって価値観を変えるだけの作品にどれだけ出会えるかだと思います。
もう1度あのときのような感動を味わいたいという気持ちでノベルゲームをやっている間は「趣味:ノベルゲー」であるといえるでしょう。

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