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パッタイ

タイAー5


ミャンマーとの県境に広がる、タイの国立公園に出かけた。そこでは滝が見られると聞いていた。タイに着いてから4日間、ゴミの浮かんだ川しか見たことがなかったが、ついに清い川が見られると期待に胸を膨らませ、8時に宿を出発。バスを2回乗り継ぎ、公園に到着したのは午後3時だった。バスの時刻表をみると、1時間半後には終バスがくることが判明した。

森の遊歩道は、大きくて色の濃い葉っぱをつけた木々に囲まれていた。日差しは雲に遮られているが、湿った空気の中を歩くと汗が止まらない。霧雨が、衣服を重くした。

国立公園の川はゴミはなかった。川底が粘土質なのか、灰色に濁っていたけれど。

40分ほど経ったところで、終バスに間に合うべく、来た道を引き返すことにした。しかし、しばらく歩いてから不思議なことに気がついた。道路が舗装されている。道幅も広い。行きに歩いたのは、土むき出しの細い遊歩道である。

嫌な予感がした。道を間違えていたら、バスに乗り遅れるかもしれない。国立公園のそばにも宿泊施設はあるようだったけれど、事前予約した宿のキャンセル料なんて払いたくないし、明日の予定も滅茶苦茶になるし、困る。遂にしくじってしまったか。

公園の地図で確認すると、遊歩道は途中で二手に分かれていたようだった。行きに通った道ではなく、national roadという別の道にきてしまっていた。ただ、どちらを通ってもバス停までの距離は変わらないようだった。

しかし、安心したのもつかの間。道端の道路標識に、蛇の絵が描かれていることに気がついた。とぐろを巻いて、首釜をもたげて正面を見ている。身体の内側が縮んだような気がした。遊歩道にそんな看板はなかった。タイとミャンマーの境目の森で、「蛇注意」の道路に1人にされた。前にも後ろにも、人影はなかった。

時間はかかるが、遊歩道に引き返そうと思った。時間より何より、命が惜しい。

その時、歩いてきた方向から、車のエンジン音が聞こえてきた。そうだ、何が何でも車に乗せてもらおう。きっと施設の人が運転しているんだから、頼めば乗せてくれるはず。そう信じて、近づいてくる車にむけて大きく手を振った。ところが、その車は、そのゆっくりした速度のまま、私の目の前を通り過ぎていった。ショックだったものの、私はとっさに車を追いかけた。

車が走った直後は、蛇も怖がって草むらに潜んでいるだろう。蛇だって、車に踏みつぶされたら死ぬことくらい分かっているはずだ。

走りながら、道の脇からコブラが出てきて足に巻き付こうとするのをジャンプしてかわしている自分をイメージした。こんな所で終わったら、馬鹿みたいだ。葬式でも笑われる。車に乗っている人からしたら、追いかけてくる私は不気味だったに違いない。でもそれどころではなかった。

正確な距離は分からないけど、少なくとも200メートルは全力で走ったのではないだろうか。だんだん車の速度について行くのがきつくなって、車は見えなくなってしまったけど、走りつづけた。そうしてバス停が見えてきたときは、本当にほっとした。

 

この時夕方5時頃。後は帰るだけだった。だが、その日の事件はまだ終わらなかった。

 

国立公園を出て4時間ほどして、バスは目的地である終点に着いたようだった。降りたのち、GoogleMapを開いてみた。驚いたことに、そこは目的地から西に10キロは離れた場所だったのである。スマホの充電は残り30パーセントだった。念の為デジタルカメラで現在地が表示されたGoogle Mapを撮影した。

タイに着いてから4日間、タクシーだけには乗らないようにしていたのだが、近くにバス停があるのか分からなかったので、乗ることにした。運転手曰わく目的地まで150円。タイの交通費としては割高に思えたけど、しょうがない。もうこれ以上は払わないぞと、五本指を立てながら「アイハブオンリー50バーツ」と何度も言った。確認は成功したはずだった。

しかし、1分ほどしてドライバーが車を脇に止め、スマホの画面を見せてきた。電卓で示された数字は170、日本円でおよそ500円。これがよく言うぼったくりか。分かった瞬間かっとして、ノーと叫んだ。ドアを叩くと、開けてもらえてすぐ降りた。やるときはやれるものである。我ながらドラマチックだった。

その後、道端にいた人にバス停を教えてもらい、30円で帰れると分かったときの高揚感。嬉しくて、バスの中では何度もタクシーから降りた場面を思い出したのだった。

無事に宿の近くについたので、食堂に入った。
外の席に座ると、ライトアップされたドーム型の国鉄の駅舎がちょうど目の前に見えた。座りながら、ぼんやりした。頭に浮かぶことを、ぼーっとただみている。そんな感じ。カコのこととか、他の人の気持ちとか、考えないで、ぼーっと。ぼんやり集中しながら食べたパッタイは美味しすぎて、味なんて忘れた。

パッタイは、タイ風の焼きそばと言えば良いのだろうか。日本の焼きそばと違って、太くてもちもちした麺と一緒に、ニラやにんじん、もやしが炒められている。味付けは魚醤。パッタイをかき込む度、幸せの爆発が起きた。脳みその中で泡がはじけているような感覚だった。生まれてから毎日ご飯を食べているけど、ご飯であんなに感動出来るなんてね、知らなかった。

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