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やはり書いておきたい私の原点だから。

尾瀬にいたとお話しすると『山が元々好きなの?』と言われたりしますがそんな事もなく、行ってから惹かれて言った感じでした。

中学生のときに尾瀬につれて行かれて山小屋が汚くて狭くて本当に嫌だった思い出があるぐらいの最悪な印象だったのです。(私が行く頃は、きれいになっていました。)

山の中で生活していると早朝から夜まで、ずーと景色の移り変わりを見ていられました。一人の時間が必要な私は、毎日のように早起きしてぼーとしてから裏山を小一時間ほど散歩するのが日課でした。小鳥の声を聴きながら誰もいない山道をただ歩く。

ある日、朝靄とともにかなり大きな雄シカと出会ったこともあります。ホントに朝霧の中、突然の出会いのようにお互い動かず。じっと見つめて。そして、もちろんシカの方から立ち去りました。神々しい姿。

尾瀬の本当に素敵な時間帯は早朝と夕方、夜の星空です。夕日のきれいな時間になると仕事中ちょっと抜け出したりして眺めたり朝日が昇ると周りの山小屋の人たちも写真をとったり。よく言われるのは、『尾瀬は現世だはない感じがする。』それは、池塘が多くて水も豊富だから朝靄が立ちやすいからなのかもしれませんが。そこにいる人間からしても、時々ここは天国なのかな?という風景を見ることがあります。

半年の間に四季を全部体験する。毎年、同じ景色にはならない。花も咲いたり咲かなかったり。

普段は忙しいのでチラ見で済ます人たちも、流星群の時期だけはみんな小屋から出てきて木道に寝そべってお酒とおつまみ持ち寄って天体showをみます。数えるのも面倒になるぐらいの星が落ちてくる。

今、書きながら当時の気持ちを味わい直している自分を感じます。 

国立公園なので狩猟禁止なのですが、村の人たちは漁業権を持ってるので夜中にイワナをモリで突くのにつれってもらったり、山菜取りしたり。きのこの刺身を初めて食べた。

動物たちにも沢山出会いました。シカは普通に夕方になると会えたり、山の上でオコジョ、モモンガ、ヤマネ、クマも近くで会いました。


そこで知り合った人たちと、休みの度に山登りをするようになりました。尾瀬を歩き周り、その後は、周りの東北の山と温泉をセットで楽しむようになりました。

それまでの山のイメージは、岩がごつごつしていて眺めがいいだけで何がいいのか?と思っていたのです。

でも、東北の山々は山頂にお花畑や池塘があり、それこそ三途の川を渡るときにみる景色ってこんなん??のようだったのです。高山植物の可憐さは、なんとも言えない美しさ。ノックアウトされました。

その上、温泉の質の良さ。乳白色の温泉が大好きになりました。冷たい空気の中で入る露天風呂。それこそ天国。そんなこんなしているうちに山頂にお花がなくても岩場と緑が散りばめられ残雪の白が少し被っているコントラストが美しく思えて高い山も登るようになりました。

感覚が麻痺してきたのか?一人で登山口の駐車場に車中箔して朝日が出ると共に登り始める事もしました。(一人で車中泊なんて怖くてもうできない。)

山は、基本、自分で登って自分で降りなくてはいけない。自分一人の力でやり遂げなきゃいけない。何かをコツコツやるとか、そこが足りないと思っていた自分を育ててくれた存在。

そしてまたしても本当にいろんな人の居る場所でもありました。

山の人たちは、シャイな部分のある人が多い。会社には向いてなさそうな個性は揃い。尾瀬の麓の小さな集落の人たちも沢山いて村社会の大変さも。

トラブルも色々ある。それでも、生活することそのものは助け合わないといけないので一人一人はとても暖かい。命の大切さは皆が共通に持って一致していたと思う。自然の中で暮らすことの厳しさを日々感じて生活しているから。

その生活が私の何かを癒して元気づけてくれたのは、確かです。

それまでの体験は、どこか頑張っていたのかもしれない。

何かを掴もうと。

尾瀬に来て更に、自分でいいのだと言う事を確認した気がしました。

出来ても出来なくてもいい。ちゃんとしていなくても大丈夫。いっしょに暮らしていたら、カッコつけられない。激しくぶつかることもある。それでいい。

ありがとう。尾瀬の時間。




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