なぜ今、改革保守なのか

私は、かつて、自分のことを、左翼だと思っていた。今でも、彼らのことは嫌いではない。ただ、限界をも感じた。私は、未来の進歩が、改革保守派にあると考えるようになった。それについて書いていく。

ブレア=クリントン動脈硬化症

1990年代以降、福祉国家を、改革的に支持する勢力がほとんどの左派になり、新しいコンセンサスが形成された。こうした政策は、つい最近まで、うまくいっているように思えた。金融資本主義、ニューエコノミーの繁栄は無限だと、多くの中道左派は、信じるようになっていた。彼らは、消費支出を見て、賃金や福祉に依存する人口を気にしなかった。幸い、金融機関はある時期までかなりの税収を送り届けてきたので、産業の空洞化については、自然の法則で、気しないで良いことだと思っていた。雇用の柔軟化を褒め称え、増え続ける隠れた失業などの社会的状況の変化をほとんど無視し、それから新しいミドルクラスの支持層のために、環境に配慮した政策を導入することに熱心になり始めた。バイデン政権の取り巻きたちは、こうしたコンセンサスを微調整すれば良いと思っているらしい。彼らは反動的になりつつある。福祉国家と金融資本主義の蜜月関係を、あからさまに容認しているのだ。増え続ける債務を、インフレによって見なかったことにできると考えているようだ。マクロン氏は大衆増税を望んでいるようだが、それを大規模に政治的に行う余裕はなさそうだ。英国の保守党は、すでに社会民主主義的政策をナショナリズムとセットで訴え、労働党から力を根こそぎ奪った。中道左派が、COVID-19危機のワクチンナショナリズム、ユーロ圏の財政規律問題、そして香港などの終わりそうもない移民の流入といった課題に、同じような政策で対応しようとしている。保守派は政策を中道左派から盗み、刷新してきたのに、中道左派のエスタブリッシュメントは同じ主張を繰り返し、あぐらをかいているように見える。彼らが新興富裕層にとって都合のいい政策を支持していることも含め、大衆の怒りを買っている。ニューエコノミーや金融産業が、それほど雇用を生み出すわけではないのに、エコだの何だので石炭発電所を廃止して電気代を引き上げることに大衆がうんざりするのは当然である。大衆は、移民に仕事を奪われたと主張する右派を支持したくなるかもしれない。歳出拡大でごまかすことも、インフレの影響でできそうもない。左派がインターネット無償化などで生活費を引き下げると言うようになったのは、皮肉に聞こえる。

先祖返りの福音

ジェレミーコービン、あるいは他の極左でもいい。彼らは、とにかく昔に戻りたかった。国有化、規制、増税とバラマキ(配給)。ミッテランの実験のことは忘れているようだ。今回のパンデミックで、彼らの主張は採用された。おめでとう。そして、やってきたのは、アベノマスク、バイデンフレーション、同じくアメリカのぱっとしない雇用統計。アメリカでは増税を巡る混乱が生じ、国有企業の民営化はいつになってもされない気さえする。フランスは、パンデミック以前からディリジスムに回帰していた。親欧州派のマクロン氏が、フランス大衆をなだめるため、自動車産業で対日関係に影響を与える政策を、保護主義的に実施したことは、興味深いことだ。これがディズレーリ流植民地主義でないと言い張れるだろうか。国有化は、失敗企業の救済に終わった。

文化的リベラリズムとは

自由主義者は長年に渡って社会主義に親和的な左派と連合してきたが、そうした事実、社会自由主義が文化的に破綻していることを証明しよう。社会自由主義は、社会民主主義後のビジョンだった。ワークフェアといった“第三の道”的政策がなくても、人気があったからだ。社会自由主義者は、人格的自由のための教育を重んじたりしてきた。それは問題だった。教育そのものの抑圧性がないものにされ、国家主義に容易に転化するものだったからだ。一方で、過激な運動家はアイディンティティ政治の処方箋を、教育セクターに導入しようとした。それがCRTである。アファーマティブアクションが今まで以上に批判の対象になった時代に、こういったことを言うのである。希望格差という言葉が唱えられ、黒人が白人より学力が低いと意識すると成績が下がるとも言われている。黒人差別はなくなりつつあるのか?黒人保守派の言い分は否定できそうもない。そして黒人の失業率はトランプ政権下でかなり下がった。おめでとう。ニューライトの主張どおり、パイの拡大が、差別をなくすために機能したということだ。マイノリティの党はどこへいったのか。移民への寛容さは人身売買の温床に、ムスリムへの寛容さは女性や同性愛者の権利の後退に、トランスジェンダーの論争を女性たちが話すだけで、魔女狩りにあう(ほとんどの女性たちが建設的な議論を望んでいると思うが)。ポデモスはマドゥロを支持している。人権の後退である。アイディンティティ政治のせいにすることができるだろうか。社会自由主義の最終的な帰結である。積極的自由を巡る政治の危険である。彼らは薬物中毒者や売春しなければ生きていけない人々を自由として放置してきた。かといって、昔に戻るのがいいだろうか。大学における左翼職員の専制は、まさに1968年の左翼が打倒を試みた権威主義の復活である。マイノリティの中のマイノリティにとっては、こうした世界は以前より住みにくいかもしれない。あらゆる人々が、属性の奴隷になっている。封建的ではないだろうか。キャメロン首相の鳴らした警鐘が蘇る。普遍的な人権は相対化された。価値観が多様であることは、公共サービスを租税で押し付ける正当性を揺るがす。ストライキで福祉が崩壊するのが見たいだろうか。

犠牲となる国防

中国のような権威主義諸国と貿易を行いたい国はたくさんある。欧州経済の病を、こうした国家からの援助で乗り切りたいのだろうか。雇用を重んじる福祉国家が、人権侵害に関わるのだろうか。雇用される権利のために、中国の植民地になるのか。国防費はアメリカのクリントン、オバマ、バイデン政権でどれだけ削減されたのか。軍人は労働者ではないのか。アイディンティティ政治のゾンビが、軍までやってきた。これこそ自国ファーストと言わないのか。ワクチンを先進国は大きな政府によって途上国から奪い取った。農業助成金でアフリカをいじめるのと同じ構図だ。普遍的価値観は部族の利益に置き換えられた。あの愚かなブッシュ大統領はアフリカで人気がある。エイズ対策の政策のおかげである。左派は国境封鎖に前向きだった。ルペンになったのは彼らだった。

依存と左翼エスタブリッシュメント

彼らは、人々を共同体に縛るのが好きだった。社会流動性を分離主義で壊そうとした。福祉受給者より福祉を愛していた。儲かるから。あらゆる人間の尊厳は左翼のある種の教皇が与えるものになった。彼らに従うように言われ、マイノリティ(女性なども)もステレオタイプ通り生きなければならない。金持ちになるのは罪である。人々は愚かなので、教育されなければならない。白人のキリスト教徒の少女が、ムスリムの難民にレイプされたら、フェミニスト活動家は味方になってくれるだろうか。そして依存の文化は中国への依存として終わる。非大卒に対する彼らの風当たりの強さを見よ。黒人が金持ちになるのは罪なのか?貧しくマイノリティらしく言うことを聞けということか。女性への抑圧は文化の問題とされるのか。自立よりも、依存と服従の文化である。ムスリムの家父長制はきれいな家父長制なのか。ディストピアへようこそ。

自由のために

左翼運動は、自由の公然たる敵となった。彼らの一部は反動的だ。自由を勝ち取る戦いの成果が、自由を称する左翼運動によって奪われつつある。この時代、自由主義者であることは保守派であることだ。反動ではない。保守派は、このパンデミックをレーガン主義で乗り越える限界を知っているべきだ。保守反動の夢によって、過去を美化することはやめよう。それは、敗北主義である。国家主義ではなく、経路依存性を無視した古典的自由主義への単純な回帰でもなく、新しい保守の政策が必要だ。古典的自由主義時代が、本当に自由だったのか、考える必要がある。私は自由を信じるが、リバタリアンが政治的に勝利するとは思わない。リバタリアンでさえ、漸進主義を必要としている。

リバタリアニズムの相対化と限界

リバタリアン同士の論争はたくさんある。彼らは小さな政府が好きだ。しかし、政府は奴隷を禁止すべきだと考えることのほうが多い(自発的な奴隷についての論争)。今、国防を民営化したらどうなるだろうか。つまり、ハードコアリバタリアンでさえ警察を認めており、BLMよりは革命的ではない。アナキストは政治の外にある。リバタリアンの想定する財産権は、ロールズと同じぐらい理論上のものだ。囲い込み運動の正当性をハンナ・アレントを持ち出して主張するのだろうか。リバタリアンとリベラルの明確な境界が存在するとは思えない。

財産権が大事なのか

私はリバタリアンではない。人権は財産権ではなく、財産権は人権に属すると考えている。なぜなら、財産権の設定の正当性が必ず問題になるからだ。帰結主義的に、私は私有財産制を擁護する。帰結が存在するということは。個人主義ならば、その対象となる人格が存在しなければならない。

私達の夢

英国のメイ前首相は、就任前の演説で、「私達はできる限り、あなたがあなたの生活を管理できるようにする」と述べた。これはまさにこういった人格の話である。メイは、さらに「誰もが同じルールの下で活動し、生まれや親の生まれに関わらず、誰もがなりたいものになれるようチャンスを与えられる」国を目指していると語った。市場は重要だが、問題は修復しなければならないとも主張した。ルールが適切に機能していれば、金融機関救済のために、納税者の財産権が損なわれることもなかったはずだ。再分配や福祉依存にも同じことが言えそうだ。官僚的な福祉の冷酷さと戦うことは、希望である。これは進歩だ。左派の雇用への無関心という社会的不正義を追求すべきなのだ。これは、低い税金で、個人が自立し、自分で生活を管理することができるようになることを意味する。自立は、依存と憎悪の無限の連鎖を終わらせられる。すべての人のために機能する倫理的な資本主義をつくる。自分で生活を管理し、才能を発揮することができるシステムだ。福祉受給者ではなく、彼らを奴隷としているシステムと戦うべきなのだ。特権階級と。メイは、何でもすると語った。改革保守主義者は、税の不正義を正すために何でもすべきだ。私達は、共和主義的押しつけではない、私有財産に裏打ちされた、自立と共生を望む。

改革保守のルーツ

私が知っているのは、保守とはもともと改革的な運動だったということだ。キャメロン氏が保守党のモダナイザーとして知られている以前から、モダナイザーは存在した。それは、まさに、ロバート・ピール!のことだ。彼は、党が単なる部族でないことを、証明しなければならなかった。彼は、党を地主の党から、国民政党へ転換したのだ。トーリー党が、保守党になった瞬間だった。保守派が自分たちを意識していることが重要なのだろう。それは王様の取り巻きではない、思想の証明だからだ。必要な改革で、重要なことを守る、それがピールの精神だった。

私達は、彼らではない

私達は、人権を放棄しようとする極右ではなく、ただの中道保守でもない。リバタリアンでも、従来型の中道右派でもない。私達は、福祉国家による差別を終わらせる。そして、人々を、冒険主義から守る。福祉に依存し、絶望する人を救う。機会を与え、すべての人が自分の人生を生きられるようにする。あなたは、単なる属性ではない。あなたは一人の人間であり、自分の力で自分の未来を決めることができる存在だ。私達は個人を信じる。自由を改善しましょう。

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