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私は言いたいことが思っていた以上にたくさんあるらしい

今朝も夫に他愛もない話題を次々にふっかけていた。

○○のアルバムが出たらしいよ。○△のニュース見た?△△の記事読んでこういうこと考えたんだけど聞いて。□○の本めっちゃよかったよ。今日は寒いから□□を食べようか。

夫はとても優しい人で、大抵は「うんうん」と聴いてくれるし、話題にも乗っかってくれる。でも、滝のように言葉を浴びせている自分をふと俯瞰して驚いた。私、めっちゃ喋るな。

夫が初めて私の両親に会った時、帰り道にこう言っていたのを思い出す。
「ぽぴとぽぴのお母さんずっと凄い勢いで喋ってて、お父さんは黙ってニコニコ聴いてて、良いバランスだね」
私はにっこり笑って、「そうでしょ!?それがうちの家族なの」と答えたし、「夫氏も、私の父似だね」と伝えた。

夫に他意は無いし、私も罪悪感など全く無い。夫婦それぞれ、家族それぞれ、心地よいバランスがある。父も夫も普段は静かな人だけど、本当は内側にたくさん秘めている思いや考えがあって、自分の意見を言う場面ではとめどなく出てくるタイプの人だから、我慢しているわけでもない。

じゃあなぜ今朝驚いたかと言うと、私は外ではわりと静かな人だと自認しているから。

集団では皆の話をただ聴いたり、楽しそうにしている人を楽しく眺めたりするタイプだし、少人数や一対一でもマシンガンのように次から次に話を繰り出すような人ではない。仕事の場では、言うべきことは言うスタンスなので、顧客だろうが先輩だろうが関係なく伝えるけれど、でもそれくらい。

だけど、昨夜見た夢では私は滔々と主張を述べていたし、中学からの親友には会うたびに話したいことがてんこ盛り。小さい頃は、部屋の中で何時間でもぬいぐるみに話しかけたり、ごっこ遊びをしたりしていた。

うん、やっぱり私は言いたいことがとてもたくさんあるらしい。

声に出しそれを自分の耳で聞くことで「あ、私は実はそう思ってたのか」と気づくことも多々あるし、話しながら自分の思考が整理されていくのをいつも感じる。ひとりで悶々と考えているだけだと言葉が上滑りしていくようで何も考えられていないのと同じ状態に陥りがちなのだけど、「伝える」というワンクッションを挟むことで、自分が本当に考えていること・感じていることが何なのかが途端に明確になっていく。

自問自答ファッションに足を踏み入れてからnoteをなかなか更新できていなかったのは、世に出すものを一本書こうとすると物凄くエネルギーを使うから。だけど、今朝の驚きを持ったままずっと書こう書こうと思っていたことを書き始めたら、自分の思考がぐんぐんと整理されていった。潜在意識下にあった言葉たちがどんどん浮上してくる。新たな発見が静かな喜びをもたらしてくれる。気づいたら一本半分を書き終えていて、でもそれらを公開する前にまず私はこの驚きについてちゃんと残しておきたいと、今これを書いている。こうして書いている間にも私はどんどん更新されていて、今朝起きたときにはまだ持っていなかった視点を持ち始めている。

夫と二人で家にいると口に出したいことがどんどん出てくる私が、書くことによって宥められている。書くことによって生まれた静寂をとても尊く感じている。

外で静かな理由はたぶん、誰かの話を聞くことで自分の中に新たな視点がぽこぽこ生まれてくるからなんだと思う。ストレングスファインダー(強み・資質診断)でも「学習欲」と「内省」が何年経ってもトップ5に君臨していることにも関係しているのかも。

こうやって自分のことを知れるのは楽しい。自問自答ファッションが好きなのもそこにある。自分をよく理解することは愛すること。そして、人生のハンドルを自分で握れるようになること。そうやって進む日々の方がそうでない日々に比べて、絶対に喜びに溢れている、と今感じる。

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