「現代川柳一日一句評」をはじめます

現代川柳を読むこと

現代川柳は読むことが難しい。楽観的に面白がることもできるが、それにしては言語として断絶されすぎている。断絶もされたり、繋げられたり、ことばを自由にあつかう現代川柳を読むには、句をよく見て(よく読み)観察することが求められる。最近は特にそのように感じています。
川柳を書くことの方が、吐き出すようにやろうと思えば、割と簡単にできる。読み手が深読みしてくれることもある。その場合は川柳を書いた私ではなく、読み手の感性が優れているのだと思う。
現代川柳を読むことは、句に込められた(秘められた)作者の意図や意図しない魅力、詩性などを感知し、一七字の言葉からどれだけ広く深い世界を、自分の中に広げられるか、見つけられるか、ということなのかなとひとまず考えています。

「現代川柳 一日一句評」をはじめます

ということで、私は現代川柳を読むことが難しいと感じています。
そのトレーニングとして、「現代川柳 一日一句評」と題し、一日一句(可能な限りで)現代川柳をとりあげ、評を書いてみるという試みです。

月波与生さんが『毎日川柳』「(ほぼ)毎日1句、川柳を取り上げて感想文を書きます。」ということをはじめられたのを目にして、私もやってみようと思いました。
月波与生さんの『毎日川柳』はコチラ https://mtenhosi.com/322/

先に「川柳を書くことの方が、吐き出すようにやろうと思えば、割と簡単にできる。」となどと書きましたが、それを自覚しているからこそ書くことも全然難しいのですが。書くことも、読むことも大切だということで、言ってしまえば、みなさんがちゃんとやっていることを、私もちゃんとやろうと。そう思いました。
ずぼらで体力もないので、何事も続けることが難しい性格です、こういった試みが、「川柳を読むこと」を継続するきっかけになれば、と思っています。
せっかちで集中力も散漫です。川柳の一句は短いので、一気に読むことができますし、そうしてしまいがちです。文字を追うだけでなく、一句にしっかり向き合うこと。それができなかかったとしたら、私はそれほど現代川柳に心惹かれてはいないということなのだと思います。それはそれで良いのです。

「現代川柳 一日一句評」のルール

「現代川柳 一日一句評」をはじめるにあたりルールを設定しておこうと思います。これは自分が続けやすくするためのルールです。

  1. 正解を求めない(感覚的でも自分なりに読む)

  2. よく見る

正解を求めない

「正しい読み」というものを求めない、意識をしない。
自分なりに読むことのトレーニング。

よく見る

「読む」ではなく「見る」。読むんですが。
見落としているところがないように、出来る限り舐め回すように見る。穴が開くくらい見る。そのように読む。
私は何事も勢いで完結に向かうところがあります。
プロセスを飛ばしてしまいたい、つまり、めんどくさい。
ささっと終わらせて次に行きたい。おいしい食事も5分で平らげる。
その点を意識して反省していきたい、という意味合いもあります。

この2つくらいでしょうか。

では、次の投稿からやっていきたいと思います。
お暇な方は、お付き合い頂けたら嬉しいです。

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