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男と女、アダムとイブ

男女の友情は成立するかっていう問いかけはそもそも間違っていると誰かが言った

だったら同等に女子同士や男子同士の友情は成立するかという問題も上がらなければならないと言った

そうだと思うが、私は女であり男を恋愛対象として見ているからその問いを考えていた。

それこそ、ジェンダーレスの人を否定するのと同じことを私にしているのではないだろうか?


日によって男か女かが変わるという人を見た

それは許されることなのだろうか?

それは今の世間に甘えているだけでは無いのか。アイデンティティの確立を怠けているのではないだろうか。
ジェンダーの話が繊細な話だからって、自己について決断する義務を、放棄しているのではないだろうか。

世界は世界が始まった頃から男か女かというふたつの箱で成り立ってきた。生まれと心の性差があっても無くても、私たちはそのどちらかの箱に入る義務があると思う。現実に、区別のある世界を私たちは生きているのだから。

先刻、それは許されることなのだろうか?という表現をしたが、私たちは何に許されなければならないのか?

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