バナナ恐怖症

この間「会食恐怖症」というのを初めて知った。

人前での食事に恐怖と不安を感じ、吐き気などの体調不良を引き起こす社交性不安症とのこと。
学生時代の給食や部活動での「完食指導」が原因となるケースが多いと書いてあった。

以下、めちゃくちゃ汚い話をするので苦手な人は読むのをやめて下さい。

会食恐怖症とはまた違うけれど、
給食での「完食指導」が生んだトラウマという点では私にも思い当たる節がある。

私はバナナが食べられない。

遡る事うん年前、通っていた小学校での完食指導が全ての元凶である。

当時、給食時間には二つのタイムリミットがあった。

まず、「ご馳走様でした」とみんなで手を合わせて唱える時間が第一のタイムリミット。
その時間に間に合わないと問答無用で食べ切れない給食と共に教室の外に出される。

そして5時間目が始まるまでが第二のタイムリミット且つ最後のチャンス。
それまでになんとか廊下で給食を完食しなくてはならない。

第二のタイムリミットに間に合わなかった場合は、
残飯を持って給食室に行き、給食担当の職員の皆さんに謝罪をしなくてはいけなかった。


私はお残し常習犯だったので廊下で給食を食べるなんてもはや屁でも無かったわけだが、
一方で毎度浴びせられる先生からのお叱りには幼心を痛め続けていた為、
耐えかねたある日
"そろそろちゃんと食べられるようにならなきゃ"と心を固めたのだ。若干9才にして。偉いぞ!

そして来たる某日、出てきたのはフルーツポンチ。
フルーツ全般苦手だったので、かなりの強敵ではあったが、今日の私は一味違う。

北澤・打倒フルーツ・ゆうほ選手の登場だ。

気合いで勝負と言わんばかりに息を止め、次々とフルーツを飲み込んでいき、ついに残すはバナナ一切れというところまでたどり着いた。ゴールは目前。

とはいえ気を抜く暇などない。もうすぐご馳走様の時間だ。日直が教壇に立っている。急がなくては。
いけ!北澤!!飲み込め!!!!
そう言って最後のバナナを飲み込んだ瞬間に吐いた。

フルーツポンチのお皿にしっかりきれいに吐いたわけだが、
「残してはいけない」という気持ちが強すぎて
その吐瀉物がフルーツポンチに見えてしまった。

そしてまたそれを食べてしまったのだ。
だって本当にフルーツポンチに見えたし、このまま残したら怒られると思ったんだもん。

もちろんそのあと猛烈に具合が悪くなり、項垂れていたところ先生に何が起きたかを聞かれたので
これまでの戦いの経緯を説明すると至極真っ当な意見で怒られた。はぁ結局怒られる。なんなんだよ。


それ以来私はバナナが食べられなくなったというわけだ。
かわいそうに。
かわいそうだよ、ほんと。

(数年前恐る恐るバナナジュースにチャレンジしてみたところ、ジュースならいけると判明した。)



大人になり私のフルーツ嫌いは少しずつ克服していっているし、キウイなんかはキャラクターのシールをiPhoneの裏に貼るくらい好きになった。身体にもいいんだぜあいつ。
しかしバナナだけは外的要因が加わってしまったが為、どうしても食べられないものになってしまった。

もしトラウマなんてなければ、食べられるようになってたかもしれないのに。




先天的な苦手やちょっとした遅れというのを、周りが無理に強制しようとするのは本当に良くない。

ただ成長のスピードが大多数よりも若干スローだったり、今がその時じゃないだけかもしれないのに、
そこに何も分かっていない分かろうともしていない外野からの外的要因が加わるとどうだろう。

ベンチで様子を伺いながら控えていたかもしれない素晴らしい可能性すらも、消し去ってしまないだろうか。


そもそも大人の役割とは、
「これが正しい」に直ぐさま矯正させようと押し付ける事ではなく、
「こういう道もあるよ」と、子供の見えていない道をなるべく多く示し、選択の手伝いをしてあげる事だ。

そして子供が失敗した時はただ失敗を叱るだけじゃなく、失敗を踏まえて、その子に合った新しい道をまた示してあげるべきだ。


もしいつかバナナがみんなと同じように食べられず苦しんでいる子がいたら、

「バナナ食べられない??だとしても食べられる子と同じように食べなさい!」ではなく、

「バナナ食べられないのか〜。もしかしたらジュースにしたら飲めるかもよ。ちょっと飲んでみる?」と優しく声かけられる、そんな大人になりたい。


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