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ラブソングについて

今まで何度か恋愛してきた。
同時に私はソングライターで、何曲もラブソングを書いてきた。

私の恋愛と私の書くラブソング、その二つは、"実体験かどうか"だけではなく色々なかたちで関係している。

みんな各々の経験や思い出に当てはめて聴いてくれていると思うので、みんなの大切な思い出や抱いてくれた曲のイメージを邪魔しない程度に、今日はお話したいと思う。


早速ではあるが、私はロクな恋愛をしてこなかった。

前回の記事で書いたように酷く罵られた事もあれば、住宅街の暗がりで血まみれになるまでボコられたり、典型的なモラハラをうけて精神が疲弊したり、色々した。

一時期の私はそんな恋愛(とも言えないけど)ばかりしていたので、自分の実体験をそのまま曲に書こうなんて思えなかった。
それはそれでセンセーショナルで面白かったかもしれないけれど、私がペギーズを通して音楽で表現したい事ではなかったのは確かだ。

楽しくて、でも切なくて、甘くて、という恋愛は当時の私にとっては殆どファンタジーだったので、憧れも交えながら私なりに恋愛漫画を一から描く気持ちでラブソングを書くことが多かったように思う。ある意味現実逃避の妄想とも言えるだろうか。そう考えるとちょっと切ない、、。


ただ現時点で一人だけ、何度も曲を書いた相手がいる。

喧嘩をした時は相手を衛生にたとえて曲を書いたし、新宿のバスターミナルからバスに乗って会いに行く時や新幹線でひとりで東京駅に帰る時の情景を思い出しては、その人を想って曲を書いた。他にもあったりなかったり。

別れてからもずるずると引きずっていたのだけど、あるタイミングで本当にもうこれはダメなんだなと気付いて、自分の気持ちに踏ん切りをつける為にも花の名前の曲を書き、終わらせた。そもそも終わってなかったのは私だけだったのだけど。

ちなみに、曲を書いてからリリースされるまでのタイムラグは半年だったり3年だったり色々なので、リリース順が私の生活に準ずる訳ではない、という事だけは言っておく。(考察しても無駄だぞ!)


つまり簡単に言うと私のラブソングにはフィクションとノンフィクションの二種類があるわけだが、どちらもそれぞれ意味があるし、違うかたちで私の恋愛と関係している。もちろんのこと、創作活動も同じだけやりがいがある。

フィクションだろうがノンフィクションだろうが、自分で書いた以上、特別さは変わらないな。そんな事を、今このnoteを書いていて改めて思った。


そもそも私は日記代わりに音楽をやっているわけではないからね。
誰かに何かを届けたくて詞を書きメロディにのせているわけで。その「何か」を届けるために自分の経験を引用する事もあれば、一から物語を描くこともある、というわけだ。

だから、私の書く詞が誰かのノンフィクションになってその人の気持ちに寄り添えたらそれは凄く嬉しい事だし、恋愛漫画を読むような気分でフィクションとして楽しんでくれてもそれはそれでまた嬉しいのだ。


ちなみに、本人としては一見甘々なラブソングでも隠しきれない己の傷が見えたりして、それがまた愛おしかったりする。

あら、ゆうほちゃんここにいたのね。みたいな気持ちになる。


というわけで、これからも実体験だったりそうじゃ無かったりしながら私はラブソングを書いていこうと思うので、楽しみにしていて欲しい。

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