泰平さんとショーゲンさんの対談のまとめ

今や時の人となっているショーゲンさん。
知らない人のために、ざっくり紹介すると、
某大手化粧品会社で勤めていたショーゲンさんは、ある日アフリカで描かれている「ティンガティンガ」という絵に出会って衝撃をうけ、自分はこれで生きていこうと決意し、その日のうちに会社に辞表を出し、ティンガティンガを習うためにアフリカのタンザニアへ行く航空チケットを買った。
そこで、ブンジュ村という小さな村に住みながら、ティンガティンガを習い描き続けたきた。と同時に、そのブンジュ村の村長をはじめ、住民たちの生き方から、人生で大事なことを学んだ。それは、日本の縄文時代の人々の暮らしだった。なぜタンザニアの人々が日本の縄文時代の人々の生き方を知っているのか?(不思議だと思う人は、YouTubeに多くあるショーゲンさんの動画を観てね)

ショーゲンさんは村長から、日本で多くの人にその縄文時代の生き方を伝えるという約束をしてきた。それで、日本に戻ってからいろんな人に声を掛けて話をしてきた。たまたま話をした人が、有名な作家のひすいこたろうさんで、話を聴いたひすいこたろうさんが自分のYouTubeチャンネルで動画を配信した。その動画を観た編集者が、本にしましょうということで、ショーゲンさんとひすいこたろうさんの共著という形で出版されたのが、「今日誰のために生きる?」という本。
発売前から予約が殺到し、2ヵ月くらいで、17万冊も売れているという。
ショーゲンさんは何人ものYouTuberと対談をしているし、いろいろなところで講演会も行っている。いろいろ探して観て(聴いて)みてね。

八ヶ岳でコミュニティを作って活動している滝沢泰平さんがショーゲンさんを招いて講演会をした。そのアーカイブ動画を入手したので(有料で期間限定)、友人に手伝ってもらって文字起こしというか、大事な部分をまとめてみた。

ショーゲンさんの講演内容は、あちこちの動画で聴くことができる内容なので、そこは割愛。泰平さんとの対談部分のみ。
こうやって文字にしてみると、記憶に残りやすいし、学びも深くなる。
読んでみてほしい。
(著作権に触れるのかな?よく分からないけど・・問題になったら削除する方向)

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ショーゲンさん
現在本の売れ行きが1か月半で17万部。しかも今後台湾・韓国でも出版が決まっている。来年は海外へも講演に行こうと思っている。フォロアーも昨年は4000人だったのが現在17万人というすごいスピードで事が進み、これは天が変革を急いでいるのだなと理解している。1か月半前はトークショーをしても観客が一人ということもあったが、今は毎日講演依頼が300件も届いている状態。 
ブンジュ村から帰ってきて8年間は絵を書きながら、暇そうな人を見つけては毎日3~5人にミニトークショーをする毎日。村長の予言では、8000人に話したくらいで話が爆発的に広がるきっかけになる人に出会えるということだったが、9302回目でひすいこたろうさんに出会うことになり、予定よりも1300回ほど遅れたが、だいたい村長の言った通りになっている。   
  
ぼく自体は、伝え続けて人生が終わってもかまわないと思っていた。というのも18才の高校卒業式の日、みんなとボーリングに出かけて酔っぱらいの車に追突され、頭を切って意識不明の状態になった。たまたま病院の前だったために助かったが、事故に遭う前と比べて、違う魂が入ったのではないかと思うほど、性格も変わっていた。とても穏やかになった。意識が戻り起き上がるときに、『アマミノキヨ』という声が聞こえて、調べてみると、琉球を作った神様で久高島に祀られていることがわかったので、ここに行くしかないと思って10代の後半は年末年始を久高島で過ごしていた。そこで、生かされたということはどういうことなのかと考える、謎解きのような人生を送っていた。
それで、村長からこの話を日本人に伝えてと言われた時に、これを全うして終わろうと思っていた。

そして、10年後、ティンガティンガの絵に出合いブンジュ村に行くことになった。そして、38歳でひすいさんに出会い、驚くような展開になった。28歳の時が大きな転機になった。
お祖母ちゃんの影響で、昔からスピリチュアルなことに興味はあった。UFOも大好きで、いつでもUFOにさらわれてもいいように窓を開けて眠ったりしている。でも、未だに来てくれません(笑) 
  
泰平さん
2025年の7月のことは沢山の声を聴いている。そんな話をしていた時に、ショーゲンさんのことを教えてもらった。同じような話をしている人がいると。1999年はノストラダムスの大予言。2012年12月は人類の滅亡。マヤのカレンダーが終わると言われて、本気で人類が滅亡すると思った人がいた。本には書いてないが、村長さんが7月に亡くなったと聞いた。ブンジュ村の村長さんはどういっているのか。

ショーゲンさん
今年の夏に長老がなくなって、息子さんに詳しく聞いた。
恐怖をあおるのでなく、明るい未来がやってくる。2025年7月5日は大きな転機になるんじゃないか?
たつきりょうさん。「私が見た未来」を描いている漫画家で3.11を当てた人。
その人も言っている。僕はパクられたと思った。笑

ブンジュ村の歴代のシャーマンは、二代飛ばしでくる。
2025年7月から、日本が大きく明るく変わっていく。それは何かというと「日本人が愛され続けてきた記憶が一気によみがえってくる日」がやってくる。良いことなんですよね。
今まで権力とかお金とかで生きてきた人は、生きにくい時代に突入する。だから、いかに愛を持って人に接してきたかどうかで生きていきやすさも変わってくるから、コミュニティをちゃんと作っておく必要がある。

泰平さん
具体的に言うと一時的に銀行が止まったり、社会的に何かしらの破壊や混乱はあるかもしれないけれども、家族だけでなくて、血のつながってない人でも家族のようなコミュニティをつくっておくことが大切になっていく。
外は混乱していても、自分たちは非常に別世界につながっていく、そんな転機になるような、タイミングなんじゃないか。

7月5日は結構具体的。
もう一人木村秋則さんも言っている。林檎を自然栽培、無農薬で作って自然栽培のブームになった人。この人はUFOコンダクターで、何度も宇宙人とコンタクトを取っている方。いろんなことを教えられている。石版のようなカレンダーの枚数が2032枚しかなく、それは2032年で一旦終わっている。しかし、それは、そこを今のままの意識で過ぎてしまうと、もう後戻りできないよ。修復不可能だよという年なのだということ。

もう一つ、2025年7月5日に、木星の衛星が抱えている隕石みたいなものの一つが地球方向に来て、かなり近くを通過する。それはNASAも知っていることなんだけど、報告されてない。それが通過することによりマグマが刺激を受けたりして、自浄作用かもしれない天変地異のすごいのが来るんじゃないかと教えられたらしい。

ショーゲンさん
それが、7月5日の朝4時11分だと聞いている。

泰平さん
3.11から、随分意識が変わってしまって、自給自足とかが必要だと思って、コミュニテとか村つくりとかして、自立していかなければならないと動き出した。何かがキッカケで人の意識は良い方向に行くことはあるので、すべてが悪いことにはならない。
コミュニテイという存在 それが一番最前であり、そうなっていく。
日本人が、本当に日本人の大切なことを思い出すような活動で、どんどん変わっていくスイッチが入り、大きな衝撃が起こる前に、そういう意識の人が増えて、何もおこらずに変わっていけば、大きなことがおこる必要がなくなってしまう。そういう可能性もあるんじゃないかな。それはそれでいい。

ショーゲンさん
村長の話では、日本に住んでいる10%の人が気付く必要がある。10%の日本人の意識が変わると集合意識が働き、良い方向に変わる。1000万人くらいの人の意識が変わったら、それだけでも変わる。
ちょっとしたことを変えるだけ。自分を愛でる日を作ってみたりすること。

泰平さん
日本人ってすごいんだよ。さらに自分自身もすごいんだよ。自分を自己愛で満たしてあげる。それに尽きる。

ショーゲンさん
村長の言葉では、日本人は、1万5千年愛され続けたというのは紛れもない事実。愛され続けた事実。日本人は、歴史として愛され続けた期間が長かったから、その意味を伝えなければならないという役割がある。

泰平さん
人間の生きられる年数は、限られているから。1万5千年も平和で続いていた社会があった、文明があった。素晴らしい時代があった。戦後、明治維新後、おかしくなったのは、ほんのわずかな時間でしかない。それよりはるかに長い時間、素晴らしい時代があった。

ショーゲンさん
縄文時代は26万人くらいの人口だったと言われる。だから、26万人くらいに伝えたいと思っている。

泰平さん
この付近も縄文時代はたくさんの人が住んでいた。そんな場所に来てくれて嬉しい。

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<質疑応答>
Q:ブンジュ村の人とのコンタクトはどうしたのか?
A:ジェスチャーや、ガンベリ先生が英語が話せるので、訳してもらっていた。

Q:日本人が愛された記憶を持っている特別な民族ということに対し、どうしてそういう民族だったのか、村長さんから聞いたか?
A:ブンジュ村では子どもが3歳になった時に1m✕1mの土地をもらい、アーシングに使ったり、穴を掘ったり、野菜を植えたりして自由に使う。自分が大切にしている土地に他人が入ったり、荒らされたり、壊されたりする事を経験することで、勉強をする。日本では昔からそれをしていた。

Q:以前、ショーゲンさんが絵を描くイベントで絵を描いている時に幸せそうに見えなかった。
A:その時は環境が過酷だった。トークショーの時は安らげる、自分で話しながら村長の話を聞いている感じ。今回本が出たことによって、話すことは本が担ってくれると思うので今はとても穏やかになった。これからは心に余裕を持って、アートに力を入れたい。海外から招待も受けているので、海外にも行こうと思っている。

Q:今、複雑な世の中で、感性がまともな子は学校に行けない。フリースクールを作って活動しているが、絵を描いてもらえないか。
A:1日300件の講演依頼があり、全部一人でやっているので難しい。

Q:3歳の子から抱きしめてもらうという話に胸が揺さぶられる。自分が子供の頃そういうふうに親にしてもらえなかった。話を聞いた人がハグをされているように元気になる。愛された記憶が自分になくてもちゃんと受け取れていると、自信、安心感を持てた。
Q:「忘れる必要があって忘れる」という言葉が心に残っていて、自分もうつで大変な思いをしたことがあったが、忘れる事を肯定してくれて嬉しかった。
子どもは学校に通っているのか?大人はどんなふうに過ごしているのか、仕事、女性の役割、男性の役割、ブンジュ村の経済状況を教えて欲しい。

A:井戸端会議が3箇所位ある。ある時、出稼ぎに行った機嫌の悪い男性に、村長は何も言わなくて良いから、その井戸端会議の場所で、女性の声を聞き、心が癒されたら家に帰りなさいと言った。
(縄文時代の)火焔土器は女性の存在、発言を尊重していることを表していると言われる。女性が大切にされる時代はすごく豊かな時代。アートとして後世に残すために作った。

A:学校ではハリネズミの針の数を数えたりする。親は1年に一度学校で教壇に立つ。先生の気持がわからないから。反対に、子供のいない先生は子供のいる家庭で生活をしてみる。親の気持ちがわからないから。
卒業式には親も1m1mの木にペイントする。お互いの立場に立って経験する事を大切にしている。
学校の校長先生は、元気に挨拶をして、自分はこれが出来るけど、これが出来ないから助けてねと言えれば生きて行けると言う。学校には給食を食べにおいでと言う。子供には、不安を煽るのではなく、大人の役割は、子どもにいかに安心感を、与えるか、それを徹底してやっているのが学校、教育現場。

Q:どういう死生観の村なのか。亡くなった人をどう祀るのか。
A:土葬で、自分がお世話になった木や野菜などの下に埋めてもらう。トマトが好きだった人はトマトの下に埋めてもらう。トマトとなって出てくるからね、と言う。
子どもたちも、おじいちゃんのトマトを摘みに行こうとか言う。ご先祖の記憶を食べている。生活の中でご先祖のことを思う時間を大切にしている。
日本もそうだったでしょ?と村長は言っていた。
村長は、バオバブの木の下にいる。バオバブが好きだったから。

Q:2025年の話。それまでの間に私たち日本人はどういう在り方、生き方ををすればよい?
A:一日の中で祝福する癖をつけるとよい。言葉に出して自然に語り掛ける。自分を愛でるとか。
目的だけを果たそうとしない。100m先のオレンジを買いに行くときも、どれだけ愛おしい存在があるか?周りを愛でながら歩く。さまざまなものをもっと味わって生きていくことが大事。
道のり、過程を楽しむ。無駄を楽しむ。生きとし生きているものを祝福しながら、自分を愛でながら。2025年までにそういうことを大事にしていく。

Q:祝福というのがすごく気になる。
A:言葉に出すことが大事。ブンジュ村で増えたこと。僕が話す日本語を聴く。日本語は心を癒す。週に1回30分話をする。「あんな~」の「あ」をもう一回言ってとよく言われた。日本語の母音のあいうえをの響きに感動していた。日本語は自然と会話できる唯一の言語。響きとして、自然に語りかける。

泰平さん
ここにきている人はみんな日本語を話せている。聴けている。それがすごいこと。日本語がすごいことが分かった。虫の声を雑音に感じる人がふえるとやばい。

ショーゲンさん 
自然、虫(一番小さい存在)と会話できることが大事。

泰平さん 
ここはカエルや虫の声がすごい。雑音としか思えない人だと発狂するレベル。世界へ行ったら円安の影響で物価が高く感じて、日本は大丈夫か?と思うけど、日本人は別の視点から見たらすごいのだと気付かせてもらって、無事に2025年7月を迎えましょう。

ショーゲンさん 
村長の言葉 単語が分かる。 日本人は「和える」という文化 海外は「ミックス」別のものに換える。まさに「和え物」それぞれの良さを無くさない。ぐちゃぐちゃに混ぜてしまうのでなく、「和える」
血が繋がっていない人たちとも和えることができる人。


以上

私も同じ価値観を持つ人たちで、小さくても安心できるコミュニティを作っていけたらいいなあと思っている。
ショーゲンさんが言うように、血のつながりなどなくても家族として助け合っていける仲間と共に生きていきたい。
すでに子どもの教育の場も作っている。その輪を更に大きくしていきたい。2025年7月がどうであろうと、その先を目指して今を大切に、着々と進んでいきたいな。

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