おい、タピオカ

ストローお挿ししてよろしいですか?

店員に伺われることで目の前の飲み物が私物と化す。私には出かけた帰りにタピオカミルクティを買うというルーティンがあった。あった、過去形なのは面倒くさいのだが、最近は、チョコレートミルクだとか、抹茶スムージーだとか、蜂蜜紅茶だとか毎回異なるフレーバーを楽しんでいるからである。容器を受け取ると、右手を添えたストローの先端を黒い物体にフィットさせて、一気にバキューム。これが楽しいから、ドリンクの上にタピオカが乗っているスムージーとは縁を切った。

家族で出かけている時は私のポリシーとして、その場で飲み終えてしまわない。家に着くまでの車内の暇つぶしとしてタピオカを楽しむ。溶液とタピオカを同じ分量で食べ進められるかという計算は、ハンバーガーの上のパンが先になくなりませんように計算にも似ていて、結構難しい。

あるタピオカ’s day、最後の一粒を堪能しようとしてストローを吸ったら何にもなかった。凄く悔しく残念だった。最後の一粒は、最後!と思って噛み締めたい。最後だな!と謎の感謝を込めて最後は締めたい。だって、好きな人から今日が最後だと告げられれば、その人への愛しさが爆発するだろうし、好きだ!と言ってしまうやん。飼い主が家を出る時犬には出かける旨を伝えない(犬が寂しがって吠えやまないため)のはかわいそうだと未だに引きずっている私にとって、最後を告げない、というのは完全なギルティだ。

卒業が近づくこの頃は、あの先輩と会うのが今日が最後かも、すれ違うのはあれで最後だったかもしれない、と不安になる。

おい、タピオカ、お前のお陰で気付けたぞ。

原稿を書きながら飲んでいたタピオカの最後の一粒を吸った。

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