「手放す」を「糧にする」とも言いたい
大学生になって出会う人たちがガラリと変わったんですけど
大学生活の中で
この考え方良いな、このスタイルかっこいいなと思っていたこと
どんどん取り入れていったような気がします。
大学に入学した時から7、8年経って
ふと、そろそろ身につけてきたものを
一旦忘れてみたいと思うようになりました。
そこから1ヶ月ほど、折に触れて振り返りました。
私はどんな経験をして、何を感じていたのか
どんな人に出会ってきて、影響されたり、影響されにいったのか。
人を真剣に思いやることができる人に出会ったし、私が心から好きだと思う人にも出会いました。
その人のことはお別れしてからも忘れられずに3年ほどどっぷりと引きずっていたのですが。
出会いが学びをくれて、学び尽くそうと躍起になったこともあります。
その全てが私を今のここまで導いてくれた。
自分と切っても切り離せないものだけど、
感謝としてリリースすることができた。
イメージワークをしたんです。
星が降る空に、記憶が宙に浮いてどんどん遠くなっていく。
私が背中の方に進んでいるのか、記憶が遠ざかっているのか
その両方なのか。
いつしかその記憶は細かい模様が見えなくなって大きな美しい光の玉になって輝くんです。
そこに留まっているから、「ありがとう」って
最後の挨拶のように感謝の息を吹きかけてみるんです。
遠くなって飛んでいってしまうのかと思ったら、
息がふれた場所から大きな光が輝く粒子になって私の元に降ってきました。
驚きました。
私は光に包まれて、美しいエネルギーを纏ったようでした。
「手放す」という言葉をよく目にするのですが、
私はこれを縁が切れる・自分のものではなくなるということだと思っていました。これが本来の意味なのかも。
この意味で手放しが叶ってほしいと思うこともある気がする。
けれども私は手放すことについてもう一つ、見方を加えてみたい。
手放すことは、昇華して糧にすること。
次は学んだことを実践していくエネルギー源として、私の中に生き続ける。
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