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政治的な話はあんまりしたくないけどもけども



私は最近分からなくなってきている。


初めて県外の人と関わった時、落とされた爆弾の名前も、落とした飛行機の名前も知らない人がいることに驚いた。

なんなら、隣の県の人でさえ落とされた時間も日付も知らなかった。これはマジでびびった。


ただ私も、数年前の3月11日に大学の友人とジブリ美術館に言った時、井の頭公園で黙祷の放送がかかってびっくりしたことがあった。

ご飯を食べる前に丁度手を洗っている時だったので、そうか、こんな時間だったなくらいに思っていた。

蛇口を締め、ハンカチを取り出しながら横を見ると、隣で同じように手を洗っていた東京出身の友人は、濡れて行き場がなくなった手を幽霊みたいにして固まったまま目を瞑っていた。慌てて目を閉じた。

地元で震災に対する黙祷の放送が流れることはなかった。
その上私は、未曾有の大災害の黙祷の間に、普通に濡れた手をハンカチで拭こうとしていた。

小学校の時、平和の鐘が鳴っている時に電話をかけてきた福島出身のママ友がいて、なんとなく家族全体が、ああ、この時間にかけてくるのねという空気になったのを思い出した。



毎年8月6日の8時には全チャンネルが平和式典に代わり、15分になると平和の鐘が1分間鳴り続けてその間みんなで黙祷する。当たり前だった。

その日は1日、テレビで平和特集しかしない。当たり前だった。

毎年千羽鶴を1人につき2つか3つ折って、学校の代表が平和祈念公園に持っていく。当たり前だった。

小学4年生の時の社会見学は平和祈念資料館で、本館入り口に展示されている蝋人形を見て大泣きし、腰を抜かして歩けなくなる。これは私だけだった。

家族で原爆ドームに行った時に車で鬼リピートされていた青山テルマの「そばにいるね」は、当時のことを思い出して嫌になるから聞けなくなった。これは妹だけだった。



青山テルマはとんだとばっちりだが、最近、かの蝋人形は撤去されたらしい。

勘違いされそうなので理由を言っておくと、実際はこんなもんじゃなかった、これを見た人たちにこの程度だったと勘違いされるのは困ると、被爆者の方たちから撤去して欲しいと抗議があったそうだ。


小さい頃から子供たちには、トラウマ混じりの平和教育が行われていたような気がする。

被爆地に近づくにつれて、その色はより濃くなると聞いたことがある。

ちなみに現首相の選挙区は爆心地を含む1区だ。


6区に生まれた私でも、核兵器は絶対悪だと教えられた。

何があっても肯定してはいけないもの。何があっても持ってはいけないもの。持たず、作らず、持ち込ませず。過ちは繰り返さない。無意識下に叩き込まれた。

核兵器のない世界を本気で願う県民にとって、それを持つことは、人を殺すことと同じくらいのタブーだと思っていた。


「タブー視してはいけない」山口県出身の元総理が言っていた。

合理性があることは分かっている。
ただ、どうしても受け入れられない。受け入れてはいけないと三つ子の魂が言っている。

でも、そんな気持ちがあることを忘れてしまいそうなくらい、もうどうしようもないのかなと思う瞬間が最近ある。

その度に、自分を律する。それでも、広島に生まれた私は、残してくれた人たちのために最後の門番じゃないといけないと、言い聞かせる。


ただ、私は基本的に、流されて流されて生きて死ぬをモットーにしているので、自分の存在や言葉が何かに影響を与えるとか、自分の考え方に染まって欲しいとか、そんなことは思ってない。



だから私は私を全く信用していない。

変わっていく世界の中で、そんな気持ちがあったことを忘れないように、こういう風なことに対して自分の考えを書くのは得意じゃないけど、書いておこうと思いました。

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