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「我が青春のドイッチュラント」(13)番外編 ザグレブ

ザグレブ 2日目 午前
翌朝、ユースホステルを後にした。空腹だったのでパン屋を探していたら、「サンドイッチ・バー」の看板を見つけた。紙パックの牛乳も買って、公園のベンチで朝食。

電車通りを歩いて行くと、人通りの多い所に出た。旅行者案内所を見つけ、手頃なホテルを教えてもらった。

ホテルに入っていくと、正面のレセプションにいた男性が、私を見るとサッと身をかがめてカウンターの下に隠れた。
えっ? 何、これ? どういうこと? 何も隠れなくても。
30代半ばのその人はゆっくりと姿を現し、困ったような顔をして黙っていた。
「ハロー!お部屋、空いていますか?」「ア、アイテイマス。」
ふふ、ヘンな人。隠れっぱなしはできないでしょうに。だいじょうぶよ。私、怖くないから。
部屋はこんな感じ。

窓からの眺め


荷物を置いて、さあ、ザグレブを探検だあ!

首都といっても大都会ではない。日本の地方都市くらいの規模で、のんびりした雰囲気だった。島と違って英語が通じるので安心。

まず、銀行に行き、手持ちのユーロをクーナに両替。次に郵便局に行って絵葉書を買い、その場で書いて日本に出した。

銀行
郵便局
郵便局内部
どこを歩いても建物がどっしりとしていて美しい

道端で、おばあさんが刺繡をしながら売っている。畑から取ってきた花も売っている。


世界一短いケーブルカー。これで上の街へ。

乗らない人は歩いて登る



真っ赤なテントの市場。

えーっ、片付けて帰らないの? 明日来て掃除してから開店するのかなあ?


街角のトウモロコシ屋台でお昼。「1本ください。」「焼いたのと茹でたのと、どっちがいい?」「じゃあ、焼いたのを。」 これが失敗だった。
ザグレブの人、焼きすぎ、焼きすぎ。

クロアチアといえば、1945年、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一つとなり、1991~1995年のクロアチア紛争では、ユーゴからの独立、セルビアとの戦いで、大戦後もずーっと戦争による混乱が続いていたんだよね。
やっと平和になったザグレブの街は歓びと活気に満ちていた。人々の私を見る目も、「ようこそ、我が国へ!」「大使館も無い国に、よくぞ来てくれました。」「ほら、もうちっとも危険はないでしょう!ゆっくりしていってね。」と、言っているように見えた。

疲れたので公園のベンチで休憩していたら、おまわりさんがやって来た。
「何か、お困りのことはありませんか。」
「大丈夫です。のんびりしているだけです。」
「そうですか。じゃあ、ザグレブを楽しんでくださいね。」
驚いた! あんなにハンサムで感じのいいおまわりさんっているんだ!

広い公園。色んな顔を見せてくれる。
遊具もある。卓球台もある。本気で対戦していた。
そういえば、クロアチアって球技が強いのよね。

平和の尊さを噛み締めながら、さあ、歩こう!


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