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ココロとカラダと、時々、ワタシ

さてさて、気がつけば、
2020年も3月半ばに突入。

特に意図しているわけじゃないけど
今年に入ってから、
自分の、心さんと身体さん
そして、
ワタシとの3人での対話が多くなり、

例えば、

-------------
身体さん:
「心さん、最近、頑張りすぎてない?
 また血便が続いているよ~~。」

心さん:
「そんなことない!まだまだいけるで!」

ワタシ:
「心さん~身体さんが優しく声かけてるのに
それは可哀想じゃん~」
-------------

めちゃ仲が良いやんけ~笑


と、ニヤニヤしてしまうコトが多い
日々を過ごしている今日この頃です。



心、身体、ワタシ



今では
この3人でのおしゃべり(対話)を
毎日、ゆったりと楽しむことが
当たり前になっちゃっているけれど

振り返れば、
今から、ちょうど一年前くらいは
これらがすべてが同一化していて、


・僕は今、何を思っているのか
・僕は今、何で苦しんでいるのか
・僕は今、何でこんなに不安なのか
・僕は今、どうすればいいのか


…みたいな感じでさ、
ずーーーーーーーーーっと
頭の中で、くるくる~ってしてた。

今ならわかるんだけど、
去年に悩んでいたくるくる~の原因は、
「自己の同一化」をしていた。

何か難しい言葉でてきたな~
って思うんだけど
シンプルに、


・心に、不安を感じてしまうのは
 身体を休ませてないから。

・身体が、痛みを感じてしまうのは
 心の声を聴いてあげてないから。


…みたいな感じで
本来は、心と身体はまったくの
別の存在なんだけど、
これを無意識的に
僕らは同一化してしまう癖があって、


そうなると
今、僕が悩んでいることって
心さんからの声なのか、
身体さんからの声なのか、
分かんなくなっちゃうのが
自己同一化の状態だと思ってる。


たとえば、僕は22歳のときに
血便になったときになったんだけど
内視鏡検査ができる病院に行ったら
原因不明って診断されたことがあって、
それから何回も検査をしても、
いろんな薬をもらったとしても
一向に
直らなかった経験があるんだけど、


それって、
身体さんが悪いように見えて、
実は、
心さんの声を聴いてなかっただけ
っていうことなんだと今なら思う。


ちなみに、
しばらく仕事を休憩していたら
自然と直っていたんだけどね。笑


とかく、
心と身体を同一化しちゃうことで
いろんな声が混在しちゃって
結局、何が何なのかわかんなくなり、
「自分」という存在が
迷子になってしまっていたのが
ちょうど一年前だった。


んで、それから約一年経った今、
どうなったかと言うと
冒頭でも書いた通り、
心さんと、身体さんは
めちゃんこ仲良しになった。

お互いの声がとてもクリアに
今は聞こえるようになった。


特にこの一年大変だったのが、
「心さん」は
毎日違うキャラクターとして
声を発信しているということ。


・仕事をしているときの、心さん
・友達といるときの、心さん
・店員さんと話すときの、心さん


…実際はもっともっとあるけど、
こららのシチュエーションですら、
「心さん」が話す声はまったく違って
ときどきどれが本音の声なのか
わかんなくなるときもあった。


これがね、
ほんとに大変だった。笑
そこで重要になってきたのが、
「ワタシ」という存在。

ここから変な話するかもだけど、
(これまでもか。笑)


心さんの声、身体さんの声が
聞こえるということは
「聞く存在」というのが必要で、
それがここでは
「ワタシ」という表現をしており、
心と、身体と、ワタシの三者が
成り立ったときに
初めて「聴く」というコトができる。


何となく伝わるかな?笑


言葉の表現として難しんだけど、
僕はこれまで心さんを
本来の自分だと思い込んでいた。

けどそれは、全然違って、
心さんはすごく変化が激しい存在で
相手によってコロコロ性格が変わるし
昨日思っていたことと
今日思っていることも全然違うし、

とにかく、
めんどくさく、可愛いやつなんだ。笑

僕らが悩んだり、苦しんだり、
逆に楽しんだり、笑ったりするのは
すべて、心さんが
好き勝手にやっていることで、
これらの、たくさんの心さんの声を
「聴く」立場での視点で見ることで
本来のあるがままの自分として
判断することができるようになる。


まさに冒頭でも書いた、

-------------
身体さん:
「心さん、最近、頑張りすぎてない?
 また血便が続いているよ~~。」

心さん:
「そんなことない!まだまだいけるで!」

ワタシ(俯瞰して聴ける立場):
「心さん~身体さんが優しく声かけてるのに
それは可哀想じゃん~」
-------------

まさに
こんなような感じの会話。

そして、この三者で
対話ができるようになってから
めちゃんこ生きるのが楽しくなった。


例えば、嫌なことが起きても、


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心さん「嫌だ~~~~~~涙」
身体さん「一旦休んでおく?」
ワタシ「これ乗り越えたら面白そうじゃん!」
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風邪をひいても、

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身体さん「咳がめちゃんこ出るんだけど!」
心さん「ごめんごめん、気をつけるわ」
ワタシ「体調管理に気を付けた方が良くない?」
------------


…みたいな感じで
嫌なことも、楽しいことでも
一緒になって決めていけるのが、
何か楽しくなるようになってきた。


変な話かもしれないけど、
本当に今はそんな感じで生きていて
すっごく楽しい。


長くなりそうだから
最後のまとめに入るね。


あくまでもこれは僕の話だけど、
僕は今、自分自身のことを
俺と主語を置く、瞬間があれば、
私と主語を置く、瞬間がある。


そのときに発言、行動することは
「心さん」が大きく関わっており、
あまり
参考にならないケースが多い。笑
(自己を同一化している状態がココ)


そういうときは大きな決断、
判断をしないようにしていて、
なるべく、
たくさん寝るようにしている。


そうすることで
ワタシの視点で物事を見れるモードに
切り替わる瞬間があって、

それを確かめる方法としては、
「僕」と主語に置いて発言する瞬間は
ほぼ間違いなく
ワタシの視点で話していることが多く
そのときにしか
決断、判断をしないようにしている。


「自分」いう存在は一人じゃない。
この三者で対話ができるようになると
人生は大きく好転すると、
僕は実体験ベースでそう思う。

「そもそも対話の仕方ってどうすんねん」
って思った方。
それは、
今度お酒飲みながら話そう。笑

じゃあ、また今度!

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