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絵心なし、知識なし、のアートビギナーが美術館で考えていること

いつからだろう。
はっきりとは覚えていないが、20歳頃には時折り美術館に足を運ぶようになっていた気がする。

きっかけは1ミリも覚えていないし、初めて行った展覧会も覚えていない。

それに加え、学生時代は絵心がないから美術の授業は好きではなかったし、なんなら体育の授業で動き回る方が好きだった。

そんな私が、振り返ったときにはなぜかアートが好きになっていたんだ。


美術館という空間

美術館という空間そのものも好きである。
〇〇さん建築、みたいな凝った建物であることも多いし、なぜか光の入り方がキレイな建物が多い気がする。

国立新美術館

写真好きなわたしとしてはあの光と影の美しさを目にするとカメラに収めたくてウズウズするんだよね。(だって撮影禁止のところも多いでしょ?あれ欲求をガシガシ押さえつけられてる気分でクソ〜!って悔しくなる笑)

内に足を踏み入れると、叫んだらよく声が響きそうな広いフロアと天井の高さ。人はいるのに妙にシンとしたあまり味わうことのない独特な空気感。

SACギャラリー

一層のこと、叫んで走り回ってみたい気さえしていて、ここで子どものように走り回ったら楽しいだろうなと想像した回数は数知れず。

まぁビビりだし、白い眼で見られたくないから実行はできないんだけど。

私の中で美術館はちょっと異質感のある場所だと思っている。

そんな場所を好むわたしは人とは少し感性がズレているのかもしれないがそんな自分も嫌いではない。

作品を鑑賞しながら考えていること

もちろん作品自体も好きである。

ウェアハウス30

現代アートを鑑賞しに行くことが多いのだけれど、臆さずに言えば7割型何を描いているのかよくわからない。

だけど、「よくわからないけどなんか好き」なんだ。

この感覚ってとても大事だと思っていて、好奇心が掻き立てられてそこから想像力が膨らんでいく。

大竹伸朗展

・どんなシーンをどのように切り取ったのだろう
・この色彩感覚はどうやって培われてきたのだろう
・なぜこの色なのか
・この人にはこの世界はどんなふうに見えているのだろう
・この絵を通して伝えたかった何かがあるのかな

そんなことを考えているうちに刻々と時間は過ぎて行くのだけれど、決まって最後に

「なぜこんなに惹かれるのだろうか」

という疑問が頭を支配する。

タラートノーイの道端

一目惚れの如く惹かれた絵の前に立って、いろんな角度から眺めてみて、また正面に立って。

同じ絵を数十分と見ていてもなんら飽きない。

飽きないどころか気分は高揚している。

前述の答えまでは今のところ辿り着けておらずだが、わかっていることとしては「色使いとよくわからなさが好み」ということ。

さらにその先になにかを秘めている気がして思考をフル回転させても納得のいくスッキリした答えには出会えていない。

バンコク芸術文化センター

時折り美術館に足を運ぶようになって10年。

「其方はなにを隠しているのだ。」

とでも問いたい気分である。

その答えがわかってしまったら、少しつまらなくなってしまうような気もするが、一生不明瞭なままなのも如何なものか。

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