人生の成功談 半年だけ実家の整骨院を手伝った事。実家が整骨院の柔道整復師さんは是非見てください。
柔道整復師の皆様。皆様の中には実家が整骨院という方いるかと思います。私も実家が整骨院で、資格を取得するきっかけになったのも、高校2年生の時に母親から「実家を継いでほしいらしいよ?」と父親が言っていたという事と、当時私も特別なりたい職業や夢が無く、それならなるか、くらいの軽い気持ちで柔道整復師の道を目指しました。
無事国家試験を取得した後、すぐに実家を継ぐことはしませんでした。というのも、母親が「国家資格を取ったらこの家にあんたの居場所はないよ、この家から、この県から出て行って都会で働きなさい」と中々スパルタな事を言ってきたので、都内にある整骨院グループに入社しました。
父親に至っては、無理して行く事は無い。就職先が無かったら家で働けばいいと言ってくれました。無事就職先も見つかったので父親にはしばらく修業したら戻ってくると伝えて家を出ました。
それから3年間、実家では知る事が無かった整骨院の現状、経営の仕方を見たり聞いたり、新人から1年経った時点で副院長的なポジションになり、新人の教育を任されたりなど、技術的な面の不安は大いにありましたが、それは外部セミナーなどを受けながら磨けばいいと思い、僅か3年間ですが、もう学ぶことも、ここに居続ける理由も無かったので、当時勤めていた整骨院グループを辞め、実家に戻り継ぐことを決意しました。早く辞めたかったというのが本音ですが、実家の整骨院を良い方向に変えたいという気持ちを芽生えてきました。
しかし、その考えは非常に甘い考えでした。実家の集客方法や治療技術や自費治療の追加、院内の美化など試みたのですが、父親が良い顔をしませんでした。集客の為、せめてホームページをと思ったのですが余計なことをするなと否定され、自費治療の導入も地域柄無理と否定され、院内の美化もむやみやたらにいじるなと否定されました。勇逸認められたのは治療方針でした。そこに関しては自由にやっていいと言ってくれましたが...。
父親と話し合いも試みましたが、中々聞いてもらえず、当時私は24歳でしたが30歳になったらおまえに引き渡すと言われ、それ以外は一切聞き入れてもらえませんでした。6年間ひたすら我慢して過ごすのか、それで自分の成長になるのかと考えた結果、再度家を出る決意をしました。父親も母親も認めてくれました。当時を考えれば、急に帰ってきた息子がしゃしゃり出て迷惑だったのかもしれません(笑)
再度家を出るとき思ったことは、「もう実家を継ぐことはないだろう、継ぐとしても最終手段として自分で道を切り開こう」と決意しました。その決意が強すぎたのか実家を出て半年後に住んでいる場所が土砂崩れ警戒区域に入り、将来的には立ち退く可能性があるとの事で、実家を継ぐことはしなくていい、と父親から申し訳なさそうに電話が来ました。不謹慎ですが私の心は軽くなり、自分のスタイルで自由に生きる事を決める事ができました。
人生は本当に何があるかわからないもので、これがもし実家を継ぐ事を目標にして最初に務めていた整骨院グループに勤めていたままだったら、この現状のとらえ方が変わっていたかと思います。夢が絶たれ絶望していたかもしれません。一回経験し、ここは自分の居場所ではないと認識が出来たからこそ、実家を継げないという現実を受け入れる事が出来たと思います。
今この記事を書いている私は31歳ですが、東京都内のマンションの一室ですが、自由に誰にも縛られることなく生きていく事が出来ています。当時は半年を無駄にした、と思いましたが今は、あの半年があったからここにいられる、と思います。
今回はちょっと特殊なパターンだと思いますが、実家を継ごうか継がないか、迷っている方がいましたら、とりあえず若いうちに、一回実家に勤めてみてはいかがでしょうか?そこが最終的なゴールではなく、人生の途中経過として経験しておくと、本当に自分の居場所はここでいいのか?このままでいいのか?と考える事が出来ます。これが30歳40歳を超えてから実家に戻り腰を据えてしまうと、もうそこにしか自分の居場所がなくなってしまう可能性もありますので、出来るだけ若い時をお勧めします。
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