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豊鹿嶋神社

所在地:東大和市芋窪1丁目2067番地
アクセス:上北台駅から徒歩約20分
指定:昭和39年11月21日 東京都指定有形文化財(建造物)
訪問日:2024年1月13日

本社殿

筆者撮影

豊鹿島神社は慶雲4年(707)に蘇我倉山田石川麿が創建したと伝わっています。
が、『延喜式神名帳』(えんぎしきじんみょうちょう)には収録されていないため、もっと後にできたのではないかという考察もあります。
『延喜式神名帳』は、延長5年(927)にまとめられた『延喜式』のうち、第9、10巻のことで、全国の神社一覧、つまり名簿のようなもの。
神社本殿は室町時代から戦国時代への過度期、文正元年(1466年)に建設されたことが、棟札から確認されています。
一間社流造(※)、杮葺、軸部丸柱という、中世の神社建築様式で、現存する東京都内最古の神社であることから、東京都指定有形文化財になりました。
ご祭神は武御加豆智命(タケミカヅチノミコト)で、茨城県の鹿島神宮を祖とする武道の神様です。

※一間社流造(ながれづくり)
屋根が前に反りながら曲線上に長く伸びて向拝となったもので、全国で最も多い神社本殿形式です。
桁行(正面)の柱が2本であれば一間社流造、4本であれば三間社流造になります。

滋賀県苗村神社の「一間社流造」の例 ⬇

出典:Wikipedia

本堂

文化財の本殿は覆堂で保護されているため拝見することができませんでした。
写真は東大和市公式HPよりお借りしました。

https://www.city.higashiyamato.lg.jp/bunkasports/bunkazai/1006670/1007380.html


鹿島の大欅
一の鳥居をくぐって数メートル行くと、石段の左手に御神木「鹿島の大欅」があります。
樹齢千年以上と推測され、昭和初期までは枝が茂っていましたが、今は背後に次世代が育っています。

著者撮影

男坂

筆者撮影

女坂

筆者撮影

茅の輪くぐり
千茅(ちがや)で編んだ直径数メートルの輪を、8の字に3回くぐって、無病息災を祈願する儀式で、スサノオノミコトの神話に由来する蘇民将来の逸話が起源です。

筆者撮影

稲荷社
説明板には、
「稲荷社 御祭神 豊受姫命(とようくひめみこと) 
産業振興、商売繁盛」
と記されています。

筆者撮影

産泰社
説明板には、
「産泰社木 御祭神 花咲耶姫(このはなさくやひめ)
安産、家内隆昌」
と記されています。
木花咲耶姫は火を放たれた中で、三柱の子を生んだので、安産の神様としては最強でしょう。

筆者撮影



九頭龍大神碑

地域の人々が雹害防止のため、講を形成して、長野県戸隠神社に祈願した碑です。
古くは江戸時代の文書から、多摩地区の雹害を見ることができます。

筆者撮影

瀧澤明神社

村山貯水池に沈んだ区域にあったものを、建設に伴い大正期に遷してきました。

筆者撮影


愛宕神社・白山神社

愛宕神社と白山神社、二社の相殿になっています。

筆者撮影



ところで、豊鹿島神社が建っている狭山丘陵は、地塁(※)のように、武蔵野台地に孤立しています。
一口に関東ローム層と言っても、数段層に分かれていて、豊鹿島神社が建っている岩盤は「多摩ローム層」です。

狭山丘陵の露頭イメージ

出典:関東土質試験共同組合

多摩ローム層は40万年前〜13万年前
武蔵野ローム層は8万年前~4万年前
立川ローム層は4万年前~約1万5,000年前
と推定されており、古い段丘面ほど、古いローム層が堆積しているので、地盤が硬いと言えます。
(ちなみに立川ローム層は富士山の噴火でできましたが、多摩ローム層は箱根火山です)


東大和市芋窪豊鹿島神社奥宮周辺の多摩ローム露頭

出典:関東土質試験共同組合


同じ東大和市内でも、南側の住宅街は震度3のとき、豊鹿島神社では震度1くらいなんだそうです。
昔の人は体感としてわかっていて、頑丈な岩盤の上に神様を祀ったのかもしれません。

※地塁は断層の両側の地域が落ち込んで、間に挟まれた部分が高くなっている地形のことです。

出典:デジタル大辞典 小学館


<参考資料>
東大和どっとネット「東大和の歴史」安島喜一著
https://higashiyamato.net/higashiyamatonorekishi/115
「関東の地盤を知ろう」関東土質試験共同組合
https://www.kstc.or.jp/information/20220225.html

東京都市整備局
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/bosai/chousa_6/home.htm


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