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ハッピー死生観

殺人が起きる時、たいてい家族か友人、知人が犯人という話を聞いて納得してしまう。
なにかをきっかけに殺意が湧くかもしれない。
私もある朝後ろから刺されて死ぬのかもしれない。そんなふうに思いながら生きてたりする。

精神的に終わってた時は29歳で死のうと思った。20代のうちに好きなこといっぱいして、まわりの結婚出産ラッシュやら出世ラッシュを尻目に先に死のうと思った。もっと死ぬ理由があったはずだけど今は忘れてる。
だいぶ健康になってそんなこと思わなくなったけど、あの頃アプリで設定した29歳までのカウントはまだ動いてる。29歳の誕生日に、あの時あんなこと考えてたんだなって思い出すために。

でも実際に自分がどんな風に死ぬのかは全く想像できない。ていうか想像したくない。メンタルが終わってる時は死ぬ方法を考えるけど、健康になったら日常的に自分の死について考えない。怖いし。不安だし。
それでもふとした時に自分はどんな最後を迎えるんだろうと考えると寝ていられなくなる。

だから逆に、現実的な不安とかリアルな死に方は置いといて、どんな死に方だったら楽しいか考えた。


私は中学・高校、書道部に入っていた。
部活に入ってる間はずっと作品と自分と向き合ってた。よく何かに負けそうになってたし病んでることが多かった気がするけど、波に乗れた時はめちゃくちゃ楽しかった。
今もたまに書く時があるけど、それなりに楽しい。きっと細く長く書道を続けていく人生なんだろうなと高校生の時から思ってた。

それで思ったんだ。
この先もずーーっと書道と向き合い続けていくとする。そんで急に書けなくなる瞬間が来て、でもなんだかんだ乗り越えて、書けるようになったぞ!!っていうのを何回も何回も繰り返すんだけど、ある日本当に乗り越えられなくなったときに、突如半紙と筆と墨が入ったおけが大きくなって私の方に突進してきて、「あーもうお手上げじゃーい!」って叫びながら私が逃げるんだけど、筆に捕まり、半紙と墨の渦に巻き込まれて精神的死を遂げたいなって思った。
身体的な痛みによる苦しみは無い。でも精神的な死によって肉体も死ぬの。

全くリアルじゃないけどこんな感じがいいなー。道具たちに追いかけられてる時も、巨人に追い回されてる恐怖じゃなくて、風呂上がりの3歳児を追いかける親のタオルみたいな感覚でさ。そんな追いかけっこをしながらいつのまにか死にたい。

なんかいろいろ不安だしさ、きっと私は他の人より死にたいって思う頻度が多い方なんだろうけど、よく分からん死ぬ時のこともやりたいこと考えてる時みたいに夢見ていいんじゃないかなーって思った。

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