夢なんてなくてもいい


「将来の夢はなんですか?」

そんな質問に答えることが、子どもの頃、あまり得意ではなかった。

卒園アルバム、記念の文集、作文、卒業アルバム、総合の授業、進路希望調査……子どもはさまざまな場面で、「夢」を抱くこと、「夢」を語ることを求められる。
この子が何を求め、何を望んでいるのか。どんな想いを抱いているのか。それを知り、時に支えていくためにも、その質問は必要なものなのかもしれない。自分とは異なる存在である子どものことを知るためにこの質問を提示する親や、先生、あるいはその他の大人たちの気持ちは、同じ大人である私にも理解できる。

理解は、できる。
でも、今もこの質問は苦手だ。

今思えば昔から、夢なんてものは私にはなかった。それでも、答えなくてはと思って、その都度頭に浮かんだ職業を答えていた。パンが好きだったからパン屋と答えた卒園文集に始まり(もしかしたらケーキ屋だったかもしれないけど)、「頭がいいから先生になれそう」と言われて教師についての作文を書いたこともあるし、ラジオにハマっていたからラジオパーソナリティという仕事について調べたこともあるし、他にもいろんな職種を口にしてきた記憶がある。
少なくともその瞬間の私は、ちゃんと「その職業に就きたい」という想いを乗せて、言葉にしていたと思う。でも、どれかを本気で目指そうとしたことは、今に至るまで、一度もない。それに、職業をあげるたびに、きちんと気持ちを込める一方で、どこか冷めている自分もいたことを、私はなんとなく覚えている。

「夢」を否定するわけじゃない。
むしろ私は「夢」をもつ人が大好きだ。
「夢」ってめちゃくちゃキラキラしてて、カッコよくて、つよくて、すてきで、私はなかなか手が届かないけど、「夢」をもつ人は、「夢」と同じくらい、光り輝いている。
「夢」に向かって努力する人って、なんであんなにカッコイイんだろう。

ただ、私は。
「夢」を今も昔も持てない私と、私のような人たちを、肯定したい。

あのね。
「夢」なんて、なくてもいいんだよ。

特に大人が子どもに訊く、「夢」=「職業」なんて、ちゃんちゃらおかしいんだぜ。適当にあしらってOK OK。「夢を持て」と大人はえらそうに言うけれど、あなたが夢を持つかどうかなんて、あなた自身だけの問題なのだから。

「夢」って、イコール、あなたの人生なんだ。
あなたの人生に描く「夢」は、あなただけのものだし、「夢」を持たない人生もまた、あなただけのもの。「夢」があってもなくても、みんな等しく時間は流れて、あなたはちゃーんと暦の上では大人になれる。

そもそも、「夢」=「職業」という枠を取っ払ってしまえば、もしかしたらあなたにも「夢」はあるかもしれない。

私にはこんな「夢」がある。
人生の最期を迎えるときに、「いろいろあったけど、幸せな人生だったなあ」と思うことだ。

それが私の「夢」であり、人生の「目標」。

そんな未来に辿り着くために、最善の選択をしていきたいと思っている。幸せだった、と振り返ることのできる時間を過ごせることが一番だから、職種や、結婚、恋人の有無は問わない。
「夢」って、きっとそのくらいのものでもいいはず。自分が目指す目的地。自分の心の羅針盤。それが、「夢」。

だから、「職業」としての「夢」は、別になくてもいい。
でも、自分の心がどこを目指していくか、そういう意味での「夢」は、ぜひ探してみてほしい。

ちなみに私は、ただいま絶賛パンやケーキを売っているし、教員免許を取り、子育てや10代の若い子との関わりにも興味津々で、ラジオのようなネットでの配信にも興味がある。
子どもの頃に自分のアンテナが反応していたものって、なんやかんやで自分自身の基礎みたいなものになってるんだなあ、と感じている。それを仕事にすることはなくても、ひとつの選択肢にしたり、趣味として心の拠り所にしたり、"好き"にはいろんな使い道があるものだ。

「職業」としての「夢」を持つことはできなかった私だけど、いつかの「夢の欠片」を抱きしめて、これからも今抱く「夢」に向かって、頑張っていきます。


2019.9.14 西垣ポプラ


#夏休み延長戦 #8月31日の夜に
#暦の上ではってフレーズが言いたいだけ
#たぶん日本語としては間違ってます


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