怒りで心の輪郭をなぞる/頭と身体の深呼吸



近況と、それに伴って考えたことのアウトプット


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4月半ばくらいから職場がギスギスしていてモヤモヤが溜まっていた。現場の仲は悪くない。ただ、現場=店舗と会社の意思疎通が全く図れなくて、ストレスを抱える日々が続いていた。家に帰って怒りが爆発してしまう夜もあった。怒りの感情に慣れていないから、疲労は倍々ゲームで増えていった。そんなとき、祖母が亡くなり、私は体調を崩してインフルエンザになった。


まずは、怒りを感じていた頃、(もちろん身近な人に吐き出して発散もしつつ、)必死に冷静であろうとして考えていたこと。

怒りという感情によって、私は私がどういう人間なのかを改めて知ることができるなと思った。私という人間は、どんなことが、どんな人が許せないのか。許せる、許せないのボーダーラインがわかると、自分がどういう考え、信念を持っているのかもわかってくる。
信念なんてカッコイイ言葉を使ってしまったけど、じゃああなたの信念とやらを教えてと言われても上手く表現はできない。心ってそんなに単純なものじゃないから。ただ、いろんな形になる自分の心のひとつの輪郭をそっとなぞってあげられた、そんな感覚でいる。

私は自分がどういう人間なのかを、ずっとわからずにいて、ずっと考えている気がする。哲学のような普遍的なものではなく、あくまで私個人という単位での、人間としての中身みたいなものを。たぶん死ぬまでそのことを考え続けるんだと思う。自分を知るために人生という旅を続けていくのだろうし、一生をかけて自分という人間を研究していくんだと思う。
新しい自分や、自分の奥深くに流れているものに出会うと、なんだかうれしいしわくわくする。自分のことを知ることはとても楽しい。だから、たまには怒りという感情も受け入れたいなと思う。そんなにいっぱいはいらないけど。好きじゃないから。


怒りの感情を抱えることに疲れていた、ちょうど大型連休も後半に入った頃。2連休を満喫していた私の元に、祖母の危篤の報が伝えられた。もう会話もできない祖母に急いで会いに行って、それが最後の対面になった。そのときにはすでに私の体調の雲行きも怪しく、そわそわと落ち着かない日が丸一日あって、祖母は星が綺麗な夜に他界した。祖母との別れの儀式が続く中で体調は悪化し、葬儀を終えた夜に発熱、翌日にインフルエンザと判明した。

そんなこんなで、シフトで既に休みとなっていた今日まで、丸八日もお店を休ませてもらった。こんなことたぶん後にも先にもないだろう。祖母との別れは辛かったし、今でも寂しいし、インフルエンザだってしんどかったけど、おかげで心も身体もリセットできた。
けっこうずるずると怠さが続いたので、元気に動けたのは今日ぐらいだったけど、何もできない時間が長く続いた分、今日だけでもすごくリフレッシュできた。ストレス、心労、身体の疲労、そういうものを全部洗い流して、心も頭も身体も深呼吸できたなという感じ。たぶんこの長い活動休止期間は祖母からの最後のプレゼントだったんじゃないかとさえ思う。またちゃんと飛ぶための長い助走を、祖母がくれたのかもしれない。

40年ぶりに祖父に再会した祖母が、きっと空から見守ってくれている。明日からまた始まる日々の中で、私はまた泣いたり笑ったり怒ったりするだろう。でも、今日みたいな日をちゃんと大切にしたいなと思った。背筋をちゃんと伸ばして、深呼吸をする日。少しゆっくりコーヒーを飲んで、部屋にも自分にも空気を循環させる日。本を読んで、ドラマを見て、好きな音楽を聴こう。そうすれば、私はきっとまた明日からも生きていける。


明日も私は私のペースで。
ほどほどに。ゆるーく。ハッピーに。
歩いていくぞ〜!


2019.5.13 にしがき

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