エッセイ 「プロム」

「プロム」っていう、海外でよく行われているイベントの話を見ていた。卒業を間近に控えた学生達のダンスパーティーで、通常は男女混合で行われる。交流を深めるイベントではあるが、この類の催しは必然的に誰かの孤独を殊更に強調し、未来にまで及ぶ爪痕になる。

 この国ではプロムがないから気楽だという意見をチラホラ見かける。しかし思い返してみると、私が高校の体育祭でやっていたフォークダンスは紛れもなくプロム的なイベントと言えた。
 プロムとフォークダンスが異なるのは、恐らく「誘う」という行為がないこと。そのためある意味で平等に交流の機会があるし、孤独に悩むこともない(交流に焦ることはあるだろうけど)。

 とはいえ国を問わず、卒業後の同窓会や結婚式の招待に誘われない人も少なからずいるはずだ。それでもプロムがやや怖がられる理由は、まず一番には「ここにはないイベント」だからということなんだろう。
 ただ、個人的にはもう一つの理由もある。多感な青春の大きな一区切りに自らの孤独を突き立てられることは、大人の一歩を踏み出す際に十分なハンディキャップになるってことだ。

 ここまで書いて、私がここで書いてるものはまったくのナンセンスだということに気がついた。このエッセイが性別と性差が都合よく融合した二項対立に巻き込まれるのならば、いっそここに書いた全ての意味を一蹴するべきだろう。

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