「天気の子」を観て思ったこと

新海誠監督作品「天気の子」を観た。
酷評する友人も周囲に多かったのだが、個人的にはとても良い作品だと思ったので感想をここに書きます。
(内容にも言及する部分があるので、まだ観ていない方はご注意ください)

①細かな技術を駆使した美しい映像や音楽
新海監督の作品をたくさん観ているわけではないのだが、「君の名は。」に引き続き、非常に美しい映像や音楽が見応えのある映画だと感じた。
緻密に描かれている風景やその色彩、CGを駆使した多彩なアングルや臨場感はそれだけで見ていて楽しいし、RADWIMPSが手がける壮大かつ繊細な音楽はとても効果的に映像とリンクしていて受け手の感情を増幅させてくれる。
更に映像・音楽とは少しズレるが、実在する店名や商品名、サービス名などを登場させるのも視聴者からの想像しやすさや親しみやすさに一役買っているだろう。
こういったテクニック面が映画の基礎クオリティをがっちり保ってくれていると思う。

②ストレートなメッセージ
物語の最後、須賀圭介による以下のセリフは、敢えて印象的な形で語られる。

「まあ気にすんなよ、青年。世界なんてさ、どうせもともと狂ってるんだから。」

これを聴いた主人公はその足でヒロインに会いに行き物語はクライマックスを迎える。
きっと「全世界や見えない人にまで愛を以って責任なんて持たなくて良い。ただ目の前の大切な人たちを幸せにするために必要な愛のことだけはどこまでも信じて裏切らずに生きていってほしい。」というようなメッセージ、もしくはこれに近いものを感じた方が多いのではないだろうか。
主題歌の「愛にできることはまだあるかい」でも直接的に上のようなメッセージが歌われている。
解釈は様々だが、無関心や諦念をスマートとするような価値観が頭をもたげている現代だからこそ、シンプルに上のようなメッセージを主題とすることは、映像作品として時代に必要な問いかけをしているように感じた。

以上の2点がこの映画の本旨であり、素晴らしい点だと思う。

映画のストーリー自体はキャッチーで親しみのある恋愛冒険活劇になっている。
ストーリーの内容にはムダもツッコミどころもそれなりにある。「都合が良すぎる」「リアリティがない」「思わせぶりに描いた割になにもない」などといった不満を持っている方も多いだろう。

まずムダに関してだがこの話は伏線を回収したりする、というよりはシンプルに人の気持ちの揺れ動きや困難なをクリアしていくワクワクに軸を置いて描いているので、前半のストーリーは全体を安定させるための「必要なムダ」であれば良いのではないか、というのが個人的な感想である。
(必要なムダって何?という方はアオアシ15巻を読んでください)

「でも大友選手のムダパス…効いてませんか?」
「後ろを安定させてるんだよ」

また非現実性などからくるツッコミどころに関しては、この作品の目指すところや在り方を考えると野暮な批判であろう。ブルースを聴いて「コード進行が単純だ!」と怒っているのと同じように思えるからである。

そして何より、コンテンツを楽しむ時は、自分も作り手でない限りは、ダメな要素を見つけて良くない映画とジャッジするより、良い要素を見つけて良い映画とジャッジする気持ちを持ち続けることが大切だと思う。
「天気の子」にも当然私個人の趣味嗜好と違う部分はあったが、そこが気にならないくらい、新海監督の哲学を反映して非常に輝いている映画だと感じた。

その中で唯一気になった点としては、穂高が拳銃を撃つこと、陽菜が雷をトラックに落とすことなど、自分たちの愛を貫くために世間においての「絶対悪」を引き起こしていることである。
愛を貫くために絶対悪を起こしても良い、あるいは絶対悪を伴わないと愛を貫けない、と描いてしまうのは虚しさを感じてしまう部分もあるだろう。
困難が伴うことを描きたかったのか、それくらい自分勝手に生きろというメッセージなのか、それともただ単にドラマチックにしたかったのか、真意は測りかねるが、この部分だけ監督の本意からはかけ離れた解釈がされてしまう危険性を孕んでいるように感じた。
(ひょっとすると、昨今の芸術においてSNSやコンプライアンスが表現の幅を狭めていることに対する警鐘として、敢えて極端な表現をとっているのではないかとも考えたが、これはおそらく邪推であろう…。)

総合すると、よっぽど話の整合性を気にする人や学生の恋愛話NGという人以外にはオススメできる作品だと思います。
是非映画館で観てください。

#天気の子
#映画

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?