具体を重要視しすぎる危険性

「全然具体性ねえな!」
「具体的なアイデアないの?」
こんな怒号が会議で飛び交う昨今であるが、「具体的であること」が一様に美化されることは果たして正しいのであろうか?

具体的な意見の良いところとして挙げられるものには
「誰にでもわかりやすく伝わること」と「実践を踏まえていること」があるだろう。
確かに実際どう動かすかを議論する会議において上記2点の視点で考えることは非常に大事だろう。

しかし、実践の前に行う会議で具体的な頭に凝り固めて考えることは本当に正しいのだろうか?
アイデアや施策においてこそ、抽象的な意見の感覚を共有することが大切なのではないか?

これまたよくいう「前提に立ち返って」とか「イシューをはっきりさせる」みたいなことは具体よりは抽象度の高い話である。そりゃそうだ。定義とか根幹の話だから。
そこで一歩踏み込んで考えよう。そもそもその前提やイシューは、アイデアの抽象を全て包含しきっているのだろうか?
答えは否。なぜならそれは施策やアイデアの元となるビジネスを軸にしているに過ぎないから。実際の施策やアイデアの良し悪しに中心を移した場合、そこには別の抽象が存在する。
そうした場合、その抽象フィールドでも何がいいかの感覚を共有しておくことが重要である。具体案の良し悪しを共有するためには、当然その上にある抽象概念の良し悪しを共有しておかなければ本質的な理解とは言えないからである。

とにかく具体的な説明を、と生き急いでいる現代であるがチームで本当に最善手を議論するためには、実践の前に「わかりやすくなく」、「実践に即していない」部分の概念を共有しておくことが武器になる。
そのためには当然抽象の議論ができるプレイヤーが必要であるが…。

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