ある日の日記


 祖父が亡くなった日から今日まで、いつも通り学校へ行って、たまにアルバイトに出て、お世話になった先生にご挨拶したり、友人との時間も惜しみながら、学生生活最後の2週間をなんとか終えた。やっぱりわたしは普通のふりをするのが上手すぎる。
 触れられる身体は無くなってしまったし、もうおしゃべりすることも叶わなくなったけれど、存在は残り続けてくれると信じてるから、これからも大好きを伝え続けたいし、喜んでもらえる姿を見せられるように頑張って生きたい。
 91歳までずっと変わらず明るく元気で笑顔の絶えない人で、おだやかに眠ったままの最期だった。親、兄弟、親戚、自分の奥さんも、今までたくさんの親族をそばで見送ってきたのに、じぶんはひとりぼっちで逝ってしまった。わたしも今週はいつにも増して忙しくてあまり気にかけられなかったから、寂しい思いをしてなかったか、それだけが心残りだったのだけど、すこし微笑んでいるような口元を見たとき、ずっしりとした安心を感じて涙がとまらなかった。“悲しい”なんて錯覚だと必死に言い聞かせてきたけれど、数えきれない感情がついてくる人の死には、無駄な抵抗だった。ついに両親2人とも旅立たれてしまった母の気持ちを思うとそれも居た堪れなくて、また泣いた。
 やっぱり最後まで自慢のおじいちゃんだったなあ。こうして心も頭も一杯になるほどの感情を存在を持って教えてくれたし、知恵があって、生命力がすさまじくて、でも慎ましくて、ささやかな喜びを灯火に時間を重ねてゆく生き様は、ずっと忘れたくないな
 たくさん愛してもらった。2人の弟たちと比べても、わたしが1番だった自信があるくらい、溺愛してもらった。尽きない孤独や寂しさから自由になれなくてもわたしがひとりでいらるのは、この愛があるからだったんだ。

 寂しかったかなぁとは思うけど、きっとむこうで迎えてくれる人はたくさんいるはずだから。たくさん笑って過ごせますように、わたしも朗らかに生きるよ

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