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懐かしさの似合う人になりたい話

やっほー、すずです。

交換日記、ついに1周したね。2月も終盤の気配を感じ始めているけれど、みんな調子はどう???私はもう、そわそわソワソワしちゃって、窓際で片想いがバレバレの女の子、になっています。

春を待つこの時期って、なんだか手持無沙汰じゃない?どうしてもまっすぐに進に進めないもどかしさがあるし、めんどうなことが溜まりがちなのも春の風物詩のようなもので、気持ちが絡まりがちになる。これってほとんど片想いだよね、

今朝は窓を開けたらまぎれもない春の空気を感じて、今日こそ日記日和だ!と思ってね、ブラウスにカーディガンを羽織って外に出てきたのだけど。街を歩いているうちに、4年前の自分を隣に感じて、懐かしい気持ちになっちゃった。高校生でもいられず、大学生にもなれず、所在ない気持ちで過ごしていた日々の記憶と重なって不思議な気持ち。まだまだ短い人生でも、感慨深い気持ちになることは増えているような気がする。単に生きてきた日数の長さだけではなくて、どれだけ思い入れのある日々を過ごせたかが、思い出が生まれるには大事なんだろうな。忘れっぽい私でも、思い出せることはいくつもあるから。これからも、一生懸命に生きたいなあ。


生きててよかったな、と思える瞬間の1つに、「思い出話に花が咲く」瞬間がある。(この表現すごく詩的ですきなの。)思い出話って、ただ過去を振り返るだけでなくて、空想の中でその時代をもう一度やる、みたいなことにも近い気がする。今日の私みたいに、ひとりでその空想にひたることもできるけど、それを共有できる人がいるともっと特別になるんだよね。自分と、その人では、覚え方も思い出し方も少し変わってくるから、その違いを笑いあえるのが、思い出話のたのしいところで。何年もの時を経て、ようやく伝えられる気持ちがあったり、その一言で、今の関係も、過去の思い出も、少しずつ変わっていくんだよね。

でも、そういう心や記憶の深いところに触れるには時間が必要なことも多くて。会えずにいた時間や、言葉を交わしあう時間をつかって、二人の間の空気をつくりなおしていくと、たどり着く言葉が変わっていく。会話の面白いところだと思う。

環境が変わっていくにつれて、親しい人と過ごせる時間も減っていくんだろうなと、最近うすうすと感じていることでもあるのだけど。何度でも懐かしく温かい空気をつくりだせるように、些細なこともちゃんと観察して、感じて、表現することを忘れずにいたい。おなじような日々を繰り返すなかでも、やわらかい感覚はまもりたいなあ。いつも気が付くと忘れていることだけど、何度でも思い出せるように、「楽しい」を詰め込める場所をつくれたらいいな。

ついこのまえ、半年ものの積読を消化した話もしたかったのだけど。これは次のお楽しみにします。

4ページ目はこのへんで。

またね~☆



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