なんやかんやで春は来る

 引っ越した。一人暮らしを始めてから、住む街が変わるのはこれで2度目。18歳の冬に上京したときのことを思い出した。もう22歳になったのに、まだ味方を見つけられていない桃太郎のようで、送り出してくれた人の想いだけでなんとか立つことができている。

 卒業か、留年か、まったく見通しが持てずにすごしていた2月のことは、もうあんまり覚えていない。秋学期に履修した全ての単位を取り終えてぴったり卒業、という具合だったうえに、何度欠席したのか記憶にない科目が二つあった。そう、授業が始まった10月にはすでに限界が近かったわたしは、11月から12月にかけて、ほとんど自分の意思だけでは動いていなかった。まさに崖っぷちを歩くといった感じで、「一歩踏み外せば終わり」という本能につき刺さる危機感だけで大学生活を送っていた。

 3月が目前に迫ったころにようやく成績が発表されて、そこからは忙しない日々が続いている。やるべきことは自分のなかに静かに積まれていくだけで、様子を伺って手伝ってくれたり、助言をくれる人はだれもいない。当然、ひとつの身体では足りるわけがなく、なんとかなるだろうという思いのままにカレンダーの数字を追いかけ、でもやっぱりダメそう、とくたびれながら、自転車操業でなんとかやっている。

 正直、留年でも卒業でも、どっちでもよかった。どちらにせよ、大変な日々が待っていることには変わりなかったから。留年したらもう一度職探しをしながら生活のための労働が必要だし、卒業するのであれば、それなりに勉強をしておかないと、とてもひとりで仕事を務めることはできないから。何も知らない、出来ない、というだけでは許されない職業であることは分かっていたし、それがよくて選んだのは自分だけれど、半月後にはわたしの日常になっているであろう社会人生活を覗き見ると、大変そうだなあと思う。まだ他人事である。

 とりあえず、1年やってみよう、という気持ちでこの職を選んだ。新卒1年目に〝あこがれの仕事 〟や〝 理想の生活〟を手にすることは諦めたから。でも、なんとなく自分に向いている気はするし、なりゆきで落ち着いた選択とはいえ(有難いことに)まわりの人たちに尊重してもらえることも多いから、そこまで後ろめたく思う必要はないのかもしれない、とも思えるようになった。それに、わたしという人間は「あこがれ」や「理想」の言葉にくるまれていた想像を、現実として生きたいわけではないのかもしれない、とも思う。

 だれに、どんな言葉をかけてもらったとしても、自分を信じることができなければ、なにも変えられない。とはいえ、いろんな声を保留にできるほどの強さも自信もないけれど、自分の人生を築くための知恵と技術は少しずつ身についている気がする。

 他者の優しさは期待しない方が希望は輝くこととか、同じ失敗を繰り返しても自分が1番に失望できればまだ救われることとか、ある1人の意見を勝手に増幅させないだけで穏やかに受け取れることとか。

 誰かに伝えるには言葉が少ないし、自分にしか響かないかもしれないけれど、ピヨピヨ人間のわたしにとってはまだ流されるしかない社会 (自然)(地球)のなかで、大事そうなことを自分なりに磨くことで、なんとか歩ける道をつくっている。


 よわくても、頼りなくても、一生懸命なばかりでなくても、なんとかやっていく。そういうふうに生きる人間がここにいるのだということを、この文章で遺したかった。

 口にはできない思いのために言葉があるのだとしたら、わたしはもっと言葉を使えるようになった方がいいのかもしれない。泣きたくても泣かないということができるようになった次は、言いたくても言えないことを書く、ということをできるようになりたい。

 苦しくても生きられるし、だからたのしいんだよ、何にも救われなくてもきっと大丈夫だよって、わたしは信じ続けるよ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?