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本当に伝えたいことは、プロフィールに書いたりしない

 1月、最後の日。今日は、12時間も眠っていた。昨晩の22時から、今朝の10時まで。朝方に何度か目覚めたけれど、体が重たくて起きられなかった。こんなに寝ていられるのもきっと今だけだから…と思いつつも、春がくるまでにやっておきたいこともあって、葛藤しながらも寝坊を許してしまう。
 いかんせん不確定要素だらけの未来ではあるけれど、じきにこの家を出ることだけは決まっているので、掃除や断捨離はせめて頑張らなくちゃいけないなというのが、ひとつの重大ミッション。年末年始の大掃除はさぼってしまったけれど、弟が長期滞在するこの機会で、ようやく重たい腰が上がった。色々と掘り起こしてみると、大学生になる時に持ってきたものの多くはときめきが失われている。ひとつのものを大事にすることも素敵だけれど、ちゃんと循環させないといけない部分もあるなあと、気付かされた。
 わたしの持ちものは、とにかく本が多すぎる。もう使わないのになぜか手放せない教材も多くて、場所をとっている。さすがに、この量全部を次のお家に持っていくのはむずかしい。使わないものは実家に戻して、文庫本や単行本も、すこし減らしたほうがいい気がする。よく読む本も、もう使わなくなった本も、手元に置いておけるような本棚を、いつか自分の家に置けたらいいなあ。
 理想の暮らしって、ほんとうに自分のものにできるんだろうか。憧れと、自分の歩む道が、いつ繋がるのかは分からないし、ずっと結ばれないかもしれない。きっと、みんな何となく生きているんだろう。おとなを長くやっている人でも、なんとなく違うな、もっと他にある気がする、と思ってる人は多いはずだよって、親戚のおばちゃんが言っていた。
 わたしも、現在進行形で「なんとなく違う気はするけど、今できることをやる」という路線で進み出そうとしているけれど、理想(らしい方向)への最短ルートを目指す予定はない。まわり道での思い出こそが孤独を温めてくれはずだから、信じきれないまま進む時間も無駄にはならないと思っている。
 ひとの数だけ、生き方がある。新しい一歩をどう選んだのか、どうやって自分の気持ちに辿り着いたのか。学べることはたくさんある。でも、わたしはどうしたらいいのか。これは、いつまで経ってもわからない。(分かろうとし始めてから、まだ半年くらいだけど。)人の真似すればできることではないし、“いまできることをやる”延長で出会うものだと思っている。今はまだ、触れると割れてしまうシャボン玉のような気持ちがいくつも漂っている青空だけど、いつか、虹の片鱗を見かけたとき、ちゃんとその光を追えるかどうか。その一瞬の色を、信じられるかどうか。そのときのために、絶望や孤独や疲労にまけず、心を動かし続けたい。

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