見出し画像

「教育と愛国」とわたしの卒論

わたしが知る映画にはどこかで面白みがあったし、感動があるものでしかありませんでした。この「教育と愛国」は種類のちがう面白いと種類のちがう感動に出会うものでした。
だからこそ、わたしが思ったことを残しておくためにnoteに残してみようかなとふと思いたったので、見てから1ヶ月も経ってしまったけれど、つらつら書き始めてみたのです。

「教育と愛国」とは

ざっくりいうと歴史教科書という側面から教育や政治やいろいろなことを考えさせられるような映画です。

教育と愛国を見ていちばんはじめに思ったこと

わたしのTwitterで展開していた投稿をそのままコピペします。
映画を見てすぐに言語化した内容ですが、SNSで発信したということもあり、自分なりに言葉には気を遣ったつもりでいます。

①みんな自分が正しいんだなって思ってるんだなって話
道徳の教科化をアプローチにして、メインは歴史教科書についてを扱ったものだったのだけど、私が卒論で書こうとしている分野に近すぎて怖くなった。「つくる会」の人たちは自分たちがもつ歴史観が正しいと思っているし、それに従ってみんな教科書をつくっているんだなあと。思想強めに入れた会社の教科書(わたしはこの方向は間違ってるとは思わない)が検定に通らなくなって廃業に追い込まれたのは衝撃だった。教科書は割と安泰だと思っていたところもあったし。
②教育の専門家でもなんでもない人がなんでいちいち授業や研究に突っ込んでくるんだろうって話
これはシンプルになんか違うって思うんだよなあ。専門家以外が教育に突っ込むのがだめだと思っているわけじゃなくて、教育の側に権利を残しておいてくれないと都合のいい歴史しか教えなくなると思うそれが良くないってことを過去が教えているはずなのになんでだろう。加害の歴史を認めようとせずに被害の側面ばかりを映し出そうとするのはなんでなんだろう。教科書会社が時の政府などに忖度する形で記述が決まっていると知って(分かってはいたけど)もやもやが止まらない。
③わたしの卒論分野がここと近しいよって話(専門は日本近現代史です)
自分の思想出していくのもどうかと思い始めたし、卒論まで曝け出すのもどうかと思うのですが、わたしは今歴史認識の違いみたいなところに興味があってそれを教科書や教材からアプローチしようと考えています。だから国が教科書に積極的に関与していくことがあんま良くないぞ!ってことも知ってるつもりだし、そういうものによって違いは生み出されていくんだろうなあと考えています。教科書に関する問題が割とかなり奥深すぎてわたしはこんなところに手を突っ込んでしまって良いのだろうかという気持ちになっています。

パンフレットを読んで思ったこと

監督のインタビュー内容や識者のみなさんのコメントが印象的でした。ほんとうはここに言葉そのまま載せてしまいたいくらい。思わずメモしました。正しいことってなんなんだろう。正しさとはなんだろう。歴史における正しさ、あの時代の捉え方に関する正しさに正解はおそらくなくて、妥協できる点を探す行為なのかもしれないと感じました。

改めて今(8月)になって思うこと

政治と特定の思想をもつ団体の結びつきが話題になっている今、なんというか、しっくり来てしまっているところがあります。あ~こういう思想をもっているところだからこそ、教科書から加害の歴史が少し消えていくし、道徳は教科化されるし、愛国心を育てるっていう文章が加わるし。なんだかなあ。道徳の教科書の題材で町のパン屋さんが和菓子屋さんに変わる事例や、戦争記述そのものがもう、ね、いろいろとしっくり来てしまったんです。

政治と教育

2006年に教育基本法が改正されて、愛国心条項が追加されたり、政治と教育の結びつきが強くなったりしています。2021年にもなんか変化があったはず。よく政治家が「政治の力で教育をよりよく!」みたいなことをいっていますが、わたしは違うと思うのです。政治の力でよりよくできるのは教育の土台・環境であって、内容ではないと思うんですよね。

うーん思想全開になりそうでネットに残すにはちょっと微妙だなあと思うようになってきたのでそろそろやめようと思います……


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?