何気ない日常におとずれる 「ささやかな幸せ」が 私たちの極上
「幸せが訪れますように」 と わたし達は常日頃 願っていて
すでに ささやかな幸せに 実は囲まれて暮らしていることに なかなか気がつけない
どこかに行けば
何かをすれば
誰かに貰えば
そして
一番多い 何かを得れば
でも すでに 何をすることもなく
自分が 幸せにあることに気がつく 瞬間が 一番嬉しい
外国で暮らす わたしにとって 例えば 巻き寿司を作って食べることが 自分で食べても 人に振る舞っても この上もなく 幸せに感じる
(日本人よね 醤油と海苔のコンビネーションの魅力にことの他 弱い)
アマゾンで オーダーしていた 「焼きのり」が ドアの郵便受けから覗くのを発見した時 『ああ やった〜』と嬉しく思う
貯金箱にお金を入れる子供のように
アボカド、きゆうり、カニ棒、スモークサーモン と ワクワクしながら
食材を こまかにストックしていく
今日はどうだろう
香ばしいチーズのパンニー二を
散歩の途中 わが わんこと
並んで 食べた
心を 落ち着かせる 日常とは 人それぞれで
対象も感じ方も人それぞれ
ただ 共通しているのは
日々の生活や なにげない習慣を 喜びに変えてくれる ささやかな幸せ
が 無数に誰にも 存在すること
なぜなら自分以外の誰かと 共有した時に
明確に自覚するから
私たちは
失敗や
挫折
不安
孤独
に苛まれることは 得意で いつも容易に見つかるのに
一方「小さな幸せ」は なかなか見つからない
そんな時 自分に 時々 言ってみる
「それ」は桃源郷のように俗界を離れた 別世界にあるものではなく
4つばの クローバーのように 葉の枚数で 価値が決まったり
どんなに頑張っても容易に見つからないものではなく
ただ ただ
振り返れば いいだけのものなんだって
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